2012年5月20日 黒田禎一郎牧師 「望みに生きる人生」


2012520日の礼拝メッセージは、『ミッション・宣教の声』主幹の黒田禎一郎牧師を当教会にお招きし、ローマ1513から「望みに生きる人生」と題してお話していただきました。メッセージのポイントは以下の通りです。



    あなたは、人生にどのような望みを持ち、どのような走り方をしていますか?

l  走るためには目標(望み)が必要です。

l  ギリシャ語の「望み」は「elpis」で、その意味は「目標を達成した満足感から沸きあがる思いのこと」、「それはまだ手にしてはいないが、未来にあることを確信して受ける喜び」とあります。

l  聖書における「望みelpis」は、①「喜び」、②「期待」、③「まことの平安」(信仰)です。



    望みにあふれ生きるためには、次の二つのポイントが大切です。

1.      思考の転換が必要です。

   裏側ばかり見ていると表が見えません。神の視点から人生を見ることが

大切です(使徒1728)。

2.      価値観を知ることが必要です。

   人の価値観はどこにあるでしょうか。大切なのはまことの価値観を知り、神

を信頼することです(ローマ1513;1ヨハ17-9)。



黒田牧師先生は以上のポイントについて、一つ一つ感動的な実例をあげながら、分かりやすくお話してくださいました。



本日の黒田先生のお説教をインターネットの動画で見ていただくことができます。当ゴールドコースト日本人教会ウェブサイト(http://japanese-church.com/about.html)内の上部にあります「リンク」をクリックしていただき、「日本人教会ビデオチャンネル」をクリックしていただくとご覧になれます。


2012年5月13日 「母の日」のメッセージ 「敬虔なお母さんの飾り」 イエスの復活の次の40日シリーズ

2012513日の礼拝メッセージは「イエスの復活の次の40日」シリーズとしてマタイ28章から「母の日」のメッセージを「敬虔なお母さんの飾り」と題して話されました。アメリカの詩人William Ross Wallace1819-81)は「揺りかごを揺らす手は世界を支配する」と書きました。この言葉は自分の子供を通じてお母さんが世界に与える影響を意味しています。母という者が担う子供の成長と能力を形づくることに関する役割は測り知れないのです。世の優れた指導者となった偉大な男女は、お母さんのおかげによってそうなったという者が多いのです。このメッセージで中心となるマタイ2816の聖句は、神の国の為に世界を揺り動かした者について語っています。ガリラヤ地方にある指示された山の上で、弟子たちがイエス様から世界福音宣教命令を受けました。ところが、この言葉はまず墓で復活されたイエスに会った女たちに与えられ、そして女たちが弟子たちに述べ伝えました。この指示された山での出会いは、非常に意義あるものになるだろうと予想されたことでしょう。この言葉を受けたマグダラのマリヤに「敬虔なお母さんの飾り」を見てみます。①神聖な啓示と指示に対して感受性を持つ女であることの飾り(285-10;ヨハ2018)。この感受性は自分の中に働く神の恵みを感謝する事から来ています。ルカ1248にこの原理が書いてあります。②密接な関係の中で主と交わりを経験しているという飾り。イエスは指示された山の名前を言われませんでしたが、ご自分のお務めの中で意味ある場所が数多くありましたから(ヨハ182)、それがどこか他の山ではなく、弟子たちと女たちが今までイエスとよく会合し交わりをした山で、よく知っている場所であったと想像できます。私たちも習慣としてイエスと交わっているのなら、直感的にイエスに会う指示された場所を知っているのです。③神聖な運命へすすむよう人を励ますという飾り(ヨハ2018)。人を動かす力は言葉にだけではなく行動にもあります。「私が言うようにではなく私がするようにしなさい」とあります(2テモテ15参考)。④悔い改め、信仰、権威に対する 服従の模範を示すという飾り(マタイ2817-20;ルカ244647)。これらのものは礼拝する心から出ています(917節)。礼拝はキリストの権威を求めながら、一方では悔い改め、他方ではキリストの権威に信仰を通じて服従することです。悔い改めは私たちを自由にし、信仰がキリストにある自由の故に私たちを力付けるのです。⑤日々の生活の中で神につながれて生きるという飾り(マタイ2820)。これは生活の中でのキリストの実現です(マコ1620)。お母さんの飾りは身に付けるものではなく、お母さんそのものの性質です(1テモ2910;テト210)。あなたの人生に飾ったものは神の心とキリストの福音を示しているでしょうか。マグダラのマリヤに倣う者になりましょう。


2012年5月6日 「価値の無い者から価値ある者に変えられる神の恵み」 イエスの復活の次の40日 シリーズ

201256日の礼拝メッセージは「イエスの復活の次の40日」シリーズとして1コリント151-10から「価値の無い者から価値ある者に変えられる神の恵み」と題して話されました。8節と10節を中心に、このメッセージでは使徒パウロのキリストへの回心を見てみます。キリストの復活後およそ36年を経て起こった出来事ですが、イエスの現れは肉体によるものではなかったにもかかわらず、パウロが経験したこの出会いは現実なものでした。パウロはキリスト教会の中でイエスキリストに次いで最も偉大な者となり、新約聖書内のほとんど全ての書はパウロが著者です。彼の回心と彼を変えられた神の恵みの素晴らしさを理解するために、ここでパウロが言った「月足らずで生まれた者」という言葉の意味を調べる必要があります。出産と比較されているこの言葉はギリシャ語でκτρωμα =κ)は抜く、(τρωμα)は切るという意味で、「早産、未熟児の子」と解釈しますが、「妊娠中絶、流産、妊娠の終了、死産」とも翻訳されています。要するに、パウロは自分自身を、母の胎内で胎児が死亡した例、または妊娠中絶によって死産した子に例えて、自分と神の関係を比較して示しています。そのような自分は価値の無い者ですが、神の恵みによって価値ある者に変えられたと言っています。私たちも同じです。次の聖句で「κτρωμα月足らずで生まれた者」の使われ方を調べて、罪の醜さを見てください。民数記121112反逆の罪。ヨブ記31-16神なき人生。詩篇588不義に対する神の裁き。伝道の書61-3人生の不公平、空虚。エゼキエル書161-6神の恵みの働きを示す(ルカ1025-37参考)。パウロの回心の記録から「今の私になった」ことの意味を知ることができます。使徒91-22聖霊に満たされて御名を運ぶ器。使徒221-16罪の許しを得、洗礼を受けて、神の人として立ち上る。使徒261-19希望を持って成功の証を立てる。ピリピ書37-14永遠のものについて価値判断できる。月足らずで生まれた価値の無い者を価値ある者に変えられたのは、一人の人なる「恵み」、復活されたイエス様なのです。

2012年4月29日「ビーチで朝食を-イエスを自分の人生の主とする者」 イエスの復活の次の40日 シリーズ

2012429日の礼拝メッセージは「イエスの復活の次の40日」シリーズとしてヨハネ211-14から「ビーチで朝食を-イエスを自分の人生の主とする者」と題して話されました。ご自分の復活が事実である証拠をあげていると共に、信仰生活に教訓を与えるこの場面は、203031に関連しています。ここにイエスが神の子キリストであり、そして、命を与える方であることを信じる信仰の目的を見ることができます。このイエスの4つの名称の頭文字で、ギリシャ語の「IKTHUS」という頭文字語が作れます。この言葉は「さかな」という意味です。21章の中では、この魚釣りの物語を通して、イエスが全ての造られた者の主であることと、彼の主権に服従しなければならないことが教えられています。イエスの3つの発言から次のことが学べます。(56節)イエスは全知の主です。(10節)持っている物をご自分に捧げるようにと望んでおられます。(12節)ご自分の人生に預かるようにと望んでおられます。では、この物語をキリスト信者に適用して教訓を学びましょう。①世界福音宣教「人を釣ること」の為にイエスの臨在、知恵、力が必要です。②イエスの主権に献身的な愛をもって服従する必要があります(15-19参)。③天国で福音の結果を祝う祝宴を描くこと。テベリヤ湖の浜辺は天国を象徴しています。次に未信者に適用して学ぶ教訓は次の通りです。①キリストなしでは生活が虚しく不満足です。②キリストに対する信仰と従順によって満足を得ます。③イエスが主であることを悟ってゆだねるなら、④イエスと共に生きる祝福をよろこぶようになります。イエスのお招きに応答しませんか。「さあ来て、朝の食事をしなさい 」

2012年4月22日 「見ずに信じる者-生活における信仰の必要性」イエスの復活の次の40日 シリーズ

2012422日の礼拝メッセージは「イエスの復活の次の40日」シリーズとしてマコ1614-18から「見ずに信じる者-生活における信仰の必要性」と題して話されました。イエスは復活後40日間に、13の場所で552人に現れました。これらの現れはイエスの復活が事実であることを更に証明するだけでなく、今日の私たちの信仰の歩みに教訓を与える出来事でもあります。イエスは弟子たちに23回現われました。この現れについて4つの福音書の中の記録を調べるとき、最も目立つ言葉は「信じる」という言葉です。そしてその4つの記録はそれぞれ、信仰における違う目的を示しています。①神を見出すために信仰が必要です(ヨハ202429)。トマスは「自分の好奇心を満足させる証拠がなくては信じない」という人々を代表しています。この人々は「信じない」という信仰を持っている者たちです。信仰に関してはどっちつかずでは居られません(27)。トマスの告白は信仰を持っていると証明していると同時に信じている結果です。イエスは「見ないで信じる者は」トマスと同じようにキリストが主、また、神であるという発見ができると言われました。②罪を赦していただくために信仰が必要です(ルカ2447; ヨハ2023; マコ1616)。罪について次のことを学びます。罪は悔い改めることを通して許していただきます。罪が許されたなら救いを得ます。赦されないなら罪に定められます。罪を除去する手段は罪を赦すことです。信仰を持っているということは内なる部分で悔い改めによって示され、外なる部分では洗礼によって示されます。③聖霊を受けるために信仰が必要です(ヨハ2022; ルカ2449)。ここでは2つの違う聖霊の経験を語っています。ヨハネの聖句は聖霊により改新することについてです。神が命の息を吹き込まれたことによってアダムが肉体的に生きた者となったように(創世記27)、聖霊で「吹き込まれる In-breathed with the Holy Spirit」ことによって霊的に生まれ変わります。そしてその後に「聖霊に着せられる Endued with the Holy Spirit」ということを受けます(使徒18; 238)。④日々の生活の中で神の力を経験するために信仰が必要です(マコ161718 )。このような信仰は全ての信者に与えられる一般的な信仰です。こうして信じる者が天の力を取り込む生活に招かれます。このような信仰は、宗教の教えを守ることではなく、キリストとの密接な関係を通して全能なる神に信頼することによって、生活の中で神ご自身を現実な者とする信仰です。あなたは信じる者でしょうか。


2012年4月15日 「燃える心の者」 イエスの復活の次の40日シリーズ


2012415日の礼拝メッセージはルカ2413-32から「燃える心の者」と題して話されました。復活後の40日の間に、イエスは13の場所で552人に現れました。これらの現れはイエスの復活が事実であることを更に証明するだけではなく、今日の私たちの信仰の歩みに教訓を与える出来事でもあります。エマオへの道中で起こった出会いはその出来事の一つです。イエスに出会った二人は後に、自分の内で何かを経験したことを悟り、そして、その経験を「燃える心」という言葉で表現しました。これはただの精神的な感情ではなく、神聖な者の前にいるときの当然あるべき応答でした。そして、後でその神聖な者はよみがえられたイエスだったことが分かりました。その道中の出会いにはいくつかの考えるべきことがありますが、最も重要なことは何故イエスが道でご自分だということを現わさなかったかということです。後に、認識の制限が取り払われたとき、彼ら二人が証ししたのは食卓で起こったことではなく、道中で経験した心が燃えていたときのことでした。すなわち、イエスが旧約聖書全体の中でご自分について解き明かされた時、彼らは心の中に与えられたキリストに対する啓示に反応したのです。今日、多くの人々が2000年前に生きてイエスに出会っていたなら、イエスを信じたでしょう、と言っていますが、ここでイエスは、時代を逆戻りしなくても、ご自分についての聖書の証を素直に信じれば、この二人の弟子たちようにイエスに出会うことができるということを教えて下さっています。聖書の言葉を通してイエスが私たちに近づいて下さっています。聖書を通してご自分の十字架と復活について教えて下さっています。聖書を通してイエスを親しく知ることができます。この燃える心は珍しい経験ではありません(エレミヤ書209;詩篇3934参照)。燃える心の者は黙ってはいられません。口に出す証と賛美、そして、感謝を持って、イエスに出会ったことを語る者となります。あなたは燃える心の者でしょうか。


2012年4月8日「どちらのイエスを知っていますか」 イースター説教シリーズ

2012年4月8日の礼拝メッセージは2012年のイースター説教シリーズとしてマタイ28:1-15から「どちらのイエスを知っていますか」と題して話されました。中心的な聖句の中に三つのイエスの姿が見られます。1.十字架につけられたイエス。2.死んで、葬られたイエス。3.よみがえられたイエス。大まかに言うと、十字架は罪の取り扱いにおいて神の要求を満足させ、そして、復活は神の力によって、神と一致した人生を可能にするものです(ガラ2:20)。聖書にはイエスの復活が事実であることを証明する証拠が沢山あります。キリスト教の護教論者で弁護士でもあるジョシ・マクダウル著者が書いた「判決を要求する証拠」という本があります。この本は、キリストの復活が事実であるかどうか確認するために裁判が行われたという設定で書かれています。そして証拠を提示した後、読者に判断を下すよう求めています。結論として、「キリストの復活を世界中のどの国の裁判にかけても、圧倒的な証拠の上に、イエスの復活は事実であるとの判決を下す他にない」と書いています。ではキリスト教信者の人生におけるイエスの復活の意味は何でしょうか。①復活はキリストが神の子であることを確証しています(ロマ1:1-4)。キリストについて、聖書の記録は正確で、預言は信用でき、処女誕生は事実であり、奇跡は真実で、永遠の救いを信じられるように確実にされています。②復活は神の命に満ちた人生を可能にします(ロマ6:3-13)。この聖句の中で復活がもたらすものについて注目してください。新生、罪からの解放、死に打ち勝つ力、神に対する奉仕、義の武器。③復活は罪の許しを頂くために信仰に力を与えます(1コリ15:12-17)。復活なしには信仰は無力です。④復活は私たちを打ち勝つ者とします(エペ1:15-23)。復活に対して神の啓示を頂くと、敵対するものに打ち勝って上に立つ者となります。⑤復活は神と親しい関係を可能にします(ヘブ7:24、25)。復活によって天にお入りになって、わたしたちに神と交わることのできる道を開かれました。⑥復活は私たちの復活の保証です(1コリ15:22-52)。ここで、キリストの復活に対して判決を下していただきます。そして、ご自分の信仰を今一度見直していただき、復活したかそうでないかについてどちらのイエスを信じているか考え、反省し、状況を判定していただきます。