2014年8月17日 「残された水がめ - 第2部」


2014年8月17日は先週のメッセージの続きで、ヨハネ4:27-29から「残された水がめー第2部」と題して話されました。

水がめは、神の命に与って、その命を十分に喜ぶために残さないといけないものを象徴しています。ここで語られる「水がめ」は、その聖句の中にあるものだけではないかもしれません。また、各聖句の前後を読む必要があります。水がめには物質なものもあり、さまざまな状況に対する態度、考え、活動のものでもあります。

あなたにある水がめは何であるか聖霊が示してくださるように祈りなさい。

① 妨げる人間関係 (創13: 8, 9  (1-18);イザ 6: 1。ある人間関係はある時まで良いのですが、自分に与えられたキリストにある富を増加し、将来、神の目的に達するための妨げになります。ロトは肉的なビジョンによって選び、滅ぼされました。アブラハムは御霊と信仰のビジョンに従って結果を神様にゆだねました。タイミングと結果を注目。

 人に付けられた傷 (創 41:51, 52)。ヨセフは兄弟たちからひどい目に会わせられましたが、憎しみを返さず、与えられた夢に真実を守って、後に家族を救うことが出来ました。何時とどんな状況の中で祝福されたかを注目。

 奉仕をするため だけの奉仕(ルカ10:38-42)。 これは奉仕の対象である主ではなく、奉仕そのものだけに目と心を付けることです。多くの信者は礼拝する心を持っていないので奉仕をもってその欠けた所をカバーし隠そうとします。礼拝は選択によるものであることを注目。

 価値判断の規準(マタ 4:19-22;マコ10:28-30;ルカ14:33。ものの価値は目的によって定められるのです。ここに、その目的は新しい職業へとキリストの召しです。古い規準(水がめ)を捨てる者が受ける報い(マコ);捨てない者に対する警告(ルカ)に注目。

 未規律のライフスタイル(ヘブ 12: 1-3)。 ここで規律とは訓練によって新しい習慣を付けると言う意味です。イエスの模範と規律しない結果に注目(3-13)。

 心、魂、霊の重荷(マタ11:28-30)。 重荷をイエスの足元に降ろすと仮定している。その後にイエスが与える荷を負う必要があり、そうする時だけに安らぎを得ることに注目。サマリアの女が水がめを置いた後から彼女の状況が変わり、自由な身になった事に注目。