2014年8月31日「第二の奇跡」

2014年8月31日の礼拝メッセージはヨハネ4:42ー54から「第二の奇跡」と題して話されました。聖句にある「しるし」の意味は超自然的なものであり、出来事の確認と証明をすることを目的に、そのしるしを行っている者を高め、行ったことの目的を強調することです。

新約聖書の中で人類の贖いという神の永遠の目的を成就されるイエス様を確証しています。いわば、奇跡と言うことを指しています。第二のしるし、奇跡と言われたのは第一の奇跡である2章にあるカナの婚礼で水をブドウ酒にかえた出来事につながっています。聖書の中の出来事は時間の順番に従って記録されていませんが、その記録の順番は信者の信仰の進行を示しているのはよくあることです。第一の奇跡はイエスの身分、神性の栄光とそれを認める信者の信仰を示しています。第二の奇跡は(役人の息子の癒し)キリストの言葉を信じるだけで救われるという信仰を示しています(20:30,31)。役人がカペナウムから35キロメートル離れたカナへ、しかも、山地にある街に登って行きました。この出来事の記録の中に信者の信仰の進行を教えることがいくつあります。

① あなたが誰を尊敬するかがあなたの祝福を決定します。(43,44)。イエスの生れ故郷のナザレの人々はイエスの神性を認めないので彼はそこをバイパスしてカナに直行しました。ナザレの人は神の祝福を受ける機会を逃しました。尊敬することに伴う報いの節を調べてください。出20:12;エペ6:2,3;申26:18,19;箴3:9;ロマ12:10;13:7;1テモ5:17;6:1;1ペテ3:7。

 ② 礼拝を通して神の臨在があなたに現わされています。神の臨在はあなたを神の働きを受け入れる者とされます(45)。ガリラヤ人は過ぎ越し祭りを祝うためにエルサレムに行き神を礼拝することでイエスに出会った(ヨハ2:23,24;3:2)。その後にイエスを自分の町に歓迎しました。詩篇63:1-5はこのポイントの原理を示しています。作者の礼拝の内容の順に注目ー神をあがめる、自分の要求が神を礼拝するように押しつける、喜びに満ちた口から出す言葉で賛美する、手を上げる、そして、満足を得て帰る。このような礼拝でなければ神の臨在を感じません。神の臨在を経験していなければ、神の働きを受けいれる者とされません。

 ③ 神はあなたが「いのち」に入るため、「死」に来るで許されます(47,49)。イエスが行われた37の奇跡の内、6つは人が自分の限界にまでなった時はじめて神にかなえられたことを記録しています。「人の限界は神の機会だ」と言われています。人の限界は信仰、希望、粘りづよさを試されます。

④ 信仰は奇跡に頼るものではなく、信仰が奇跡に先立つのです(48-50)。多くの人が「もし神が私のために何かしてくだされば信じます」と言っています。役人はイエスの言葉を信じて、言葉の中の力を持って帰り自分の状況に付けました。多くの信者がこの霊的な原理を学ばないで、信仰を諦めてしまうのです。

⑤ 奇跡を得るためだけに神を信じるなら 奇跡だけを得るでしょう。奇跡を与える方を信じるなら奇跡を与える方御自身を受けます(50、53)。この物語の中に二種類の信仰が見えています。すなわち、イエスは何が出来るか「奇跡を行う」ということに対する信仰と、誰であるか「救い主キリスト」であることに対する信仰です。この二つ目の経験は本当の第二の奇跡です。新生、罪の許し、救い、永遠の命を受けるしるしと奇跡です。