2014年4月20日 「イースターを逃した男」 イースター・シリーズ その6


2014420日の礼拝メッセージはイースターのシリーズの中で、ヨハネ202636から「イースターを逃した男」と題して話されました。最初の復活の朝に、「ここにおられません。よみがえられた。」と言う人類に伝えられた最大の知らせは、その同じ日の少し後にイエスが弟子たちに現れた時、トマスは彼らと一緒にいなかったので、そのグッド・ニュースが彼に失われてしまいました(2024)。私達は、予定や重要なイベントを逃してしまうとき、失望感を持ちます。ある人には大したことと思わないことも、逃すと、将来に非常に大きな影響を与えるものがあるのです。信仰の歩みには神性の定めの出来事や場所や時があって、それを逃したら永遠の運命に影響を与えるのです。その最初のイースターの朝、トマスはどこにいたでしょうか。なぜ、他の弟子たちと一緒に定期の集会にいなかったでしょうか。その答えは、トマスの性格に秘められているかもしれません。そして、わたしたちにも神の定めの時機を逃してしまう理由を示しているでしょう。

 トマスは悲観的な性格でした(ヨハ1116)。   彼は死の可能性だけを見て、命と信仰が力づけられる可能性を見ませんでした。

 トマスは理解力が鈍い性格でした(ヨハ145)。   何回も説明を受けたのに、彼は理性が理解を邪魔することを赦して、信仰を生じさせませんでした。

 トマスは人の言葉を信頼しない性格でした(ヨハ2025)。    弟子たちが目撃者なのに自分で経験しなければその出来事は起こらなかったと見ています。

 トマスはすぐに興味を失いがちな性格でした(2113)。   新しいおもちゃをもらった子供と同じように、期待を満足させないならすぐに飽きらめて捨ててしまいがちでした。イエスは政治的な救世主という望みを満足させなかったので、過去の生活に戻るように決めました。

復活の出来事には三種類のイースター体験があると提出したいと思います。

 最初の復活の朝と言うイースター(2024)。  これは、歴史的な事実としての復活、イースターです。今までかつてないほどの集会に、イエス様が壁を通って入られたことと、弟子たちの証もあったが、それほどに説得力のある証があっても、疑いによって固くなったトマスの心をイエス様は誰であるか説得できません。これは「神の定めた機会を逃してしまった」というイースターです。

 八日後のイースター(2026)。  一週間の間トマスは何処にいたか。何を考えていたか。そして、八日後に彼を弟子たちの定期集会に引き戻した力が何でしょうか。これは神聖な磁気と好奇心の力です。「もしかしたら本当にイエスはよみがえられたなら、生き帰ってほしいなー」と、トマスは自分にイエスに出会うもう一つのチャンスを与えようと考えた。イエス様はトマスの疑いにではなく彼の希望に応答されました。これは「二度目のチャンス」と言うイースターです。

 あなたが経験できるイースター(2029)。  わたしたちはトマスのようにイエスの手、足、わき腹にある釘跡を見ることはできませんが、信仰によって、私達のイエス様との出会いは具体的な証拠がないにもかかわらず、現実です。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスにイエス様が本当にみがえられたのを説得したのは信仰ではなく、事実の証拠としての釘跡でした。信仰はその事実の意味と意義は何であるかに結びつけるのです。すなわち、イエス様が天地創造主なる神であって、彼を信じることによって私達は永遠の命をいただくのです。あなたはどれのイースターを経験しましたか。信じる者のイースタは一番です。