2014年1月12日 自由への旅の同行者 「自由への旅」シリーズ その2


2014年1月12日の礼拝メッセージは「自由への旅」シリーズの第2として、エペソ3:1-12から「自由への旅の同行者」と題して話されました。使徒パウロのローマへの航海に起こった出来事は、信仰生活に役に立つ教訓を教えています。鎖で縛られた所から始まり(使徒26:29)、訪ねて来る人達を皆迎えて大胆に少しも妨げられることなく神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え(28:30,31)自由の身になった所で終わったパウロの旅と同じように、私達の信仰の旅も罪などの鎖に縛られて始まりますが、ついに、神の御国の祝福に預って自由にされる所で終わる事になります。この自由への旅の中で主な人物は、パウロを無事にローマに連れて行く任務を与えられた親衛隊の部隊長ユリウス(使徒27:1)ですが、パウロは自分をローマ帝国の囚人ではなく、イエス・キリストの囚人だと考えています(エペソ3:1)。ここに最初の教訓が教えらています。神/キリストは私たちの生活の状況を制御していることを認識しなければならないと言う教訓です。しかしパウロは一人でこの旅をしているのではありません。ほかの数人の囚人と一緒です。ここに、今日のメッセ-ジの第二の教訓があります。神は、信仰の旅に共に行く仲間を認識しなければならないことを教えています。すなわち、教会です。 教会とは何でしょうか。キリストとの関係と信仰生活は、教会が何であるかをどのように理解するかで影響を受けていきます。

まず、教会ではないことを考えましょう。「教会に行きましょう」とか、「教会へようこそいらっしゃいました」と、良く言いますがこの言葉の使い方は間違っています。教会は集会を行う建物や場所ではなく、その集会でもありません。聖書の真理からいえば、教会へ行くと言うより、教会が来る、または、集まると言うべきです。建物や集会が教会の活動の為に必要なものであるかもしれませんが、教会が存在するために必要なのではありません。

聖書の中で、教会の概念には次のものがあります。

① 奥義(エペソ3:3-10)。旧約聖書の預言者は教会を予言していますが、その実体はわからなかった(1ペテ1:10-12)。エペソ5:23-32の中にキリストと教会の関係、キリストが教会の為にしてくださったこと、そして、キリストに対する教会の義務が教えられています。30節の別訳では、信者がキリストの体、肉、骨であると記されています。この言葉は比喩ではなく現実です。

② キリストの体(1コリ10:16;12:27;エペソ4:12,13)。今、キリストには私達の手と足のほかに手と足はないとよく言われています。その体のお互いに対する活動は1コリ12-14章とローマ12-14章に記されています。

③ 神の家族(エペソ3:14-21;ヘブ12:23)。家族の名は神の御子から受けています。時と場所を超えて存在しています。内住の聖霊によって力を得ています。内住のキリストと信者が分かち合うキリストの愛を、特質として持っています。これ等の特徴を通して、力づけて下さる神の中にある臨在とつながっています。

④ 神殿(1コリ316,17;6:19,20;エヘ゜ソ2:21)。聖書のこれらの個所に教会の特徴、教会の存在する目的と教会の持ち主、教会は神の住まいである事を示しています。このことは、信者が教会以外の者との関係に注意しなければならない事を教えています。(2コリ6:14-7:1)。キリストと彼の教会に明確な愛着を持ちましょう。キリストを愛し、教会を愛しましょう。