2013年12月15日の礼拝メッセージは、引き続きクリスマスシリーズでルカ1:26-38から「『何処もない』と言うところへの神の訪れ」と題して話されました。
このメッセージの中でMary's Storyを調べますが、聖書の記録の中でマリヤは不名誉の立場から名誉ある立場に上げられた人生の旅を通して、クリスマスの物語の中に表されている福音を見、そして、私達も神の栄光の為に同じ信仰の旅をする事が出来ることを学びます。
「何処もない」と言うのは、ナザレと言う町に関して当時の人々の考えが表わされています。
ナザレ!? 粗野な言葉を使う民、ローマ守備隊が駐屯する不道徳に満ちた不評をかこつ町です。
ピラト総督は、十字架に付けられたイエス様を「ユダヤの王、ナザレのイエス」と書いた罪状書きを付けることによって、イエス様を最大限に侮辱しました。
①メシヤの預言に関してナザレは「何処もない」立場を持っています(ヨハ1:45,46;7:52)
そのようなナザレでマリヤは生まれ育ったが、私達と同様に神の恵み、神のイエス・キリストによる救いの働きを通して、神の御国の中で祝福を得るようになった(ルカ1:48)。
② どんなに小さな啓示でも 追い求めていけば、 より完全な啓示につながる 。各段階では、マリアはその時点では、分からないことに直面しているが、与えられた啓示に対して退くどころかそれを抱きしめて、さらに啓示を追い求めています。そして、そうする事で一歩一歩、自然の次元から離れて、超自然な次元へと進み、神の力ある陰の下に入るようになりました(民数14:14;詩17:8;57:1:63:7;121:6,7)。
③ 私たちの内に働き、あるいは、私達を通しての神の働きは、私たちの証し、賛美と礼拝によって表される 私達の祝福と神の栄光の為です 。あなたの周囲に自分の人生の中の状況に、神に信頼するように励ます神の奇跡に対する証しがある(36-39)。自分の証し、賛美と礼拝は、私たちの信仰と神へのコミットメント(献身)の証拠である(46-55)。
あなたは、神との関係と自分に対する神の目的の関して「どこ」にいるのでしょうか。「何処もない」所でしょうか。神はあなたの内に永遠の生命を宿しています。マリヤがしたように神の御言葉に身を任せるなら、神、キリストにある「どこ」へ上ることができます。