2013年7月28日 「先に置かれているものに向かって手を伸べよ」


2013年7月28日の礼拝メッセージはピリ3:12ー15から「先に置かれているものに向かって手を伸べよ」と題して話されました。この節に競技者がゴールラインに目をつけて、精一杯走っているとゴールインが近づいて来るようになるのと同時に、手で空気を掴みながらフィニシュラインを自分の方へ引っ張っているように見えていることが描かれています。これは信仰生活に神の祝福を受ける手段を表明しています。キリストによって与えられる祝福は、心と信仰の手を伸べて自分のものとする必要があります。

 霊的成熟に向かって手を伸べていること(ピリ3:12-15 )。パウロは信者と神の関わりを語っています。御霊による礼拝、キリストによる喜び、信仰による義。これ等のものを得るためにキリストが私達を捕えてくださいましたが、実際に受けるように自分から信仰の手を差し伸べて捕えなければなりません。

 神との交わりに向かって手を伸べていること(1ヨハ1:1-9 )。ここに、救いの根本が話されています。弟子たちは手でイエスに触ったように私達が信仰の手でイエスに触れている結果として罪の許しと清めを得ているのです。しかしこれは前提条件として神が私達の方へ御手を差し伸べてくださることを見ています(ロマ10:21;民数11:23;イザ50:2;ゼカ13:6)。

 神への礼拝を通して力を受けるように 手を伸べていること(詩68:28-35)。詩者は神の力を求めて神殿の中の礼拝集会を見ています。そこに福音による実として国々が神に手を差し伸べて神を賛美しているのを見ています(1テモ2:8)。

 キリストを主として認めるに手を伸べていること( ルカ6:1-11)。ここに祝福を得るために手を差し伸べると言う原理を教える最も力強いストーリの一つがあります。「手の萎縮」と言う医学的な状態の原因と結果は信仰生活の中で沢山の霊的な状態に並行しています。不信仰の群衆の中から出て、キリストと信仰が働かれる立場に入り、どんな法律でも対抗できない主を認めて、肉体と心に健全という奇跡を得ているのです。

あなたの方に差し伸べられている神の御手を取る為に、自分の心の手を差し伸べませんか。