2013年7月21日 「信仰を妥協しない者に報いてくださる神」


2013年7月21日の礼拝メッセージはダニエル書から「信仰を妥協しない者に報いてくださる神」と題して話されました。クリスチャン生活は、何が正しくて何が神を喜ばすものかを選択することが多く、世と対立することは少なくはありません。神の道を選ぶなら祝福を得るが、反対に世の道を選ぶなら信仰を妥協するようになるばかりではなく神の罰を引き受ける可能性があります。ダニエル書は世の終わりに何が起こるかを預言していて、悪夢の中で見るような獣の映像が多いですが、それと共に信仰生活に対して最もきよい模範を示している四人の少年も見えています。

彼らは信仰を妥協しない者の尊さと神から受ける祝福を教えています。聖書で「妥協」とは、あなた自身の喜びや利益のために神の御心以外のものを選ぶことです。日本語で清廉、清らかさ、完全性ということばで表明しています。三つの出来事を通して、神と信仰に誠実に対するというチャレンジを受けています。

 ①自己の清廉を妥協しないこと(1:8)。要するに、信仰に関して霊的と道徳的に自分はどのような者かと言うことです。占星術に頼る王の食べ物は偶像に捧げられていて、その名によって祝福された肉などの食物は神の律法でユダヤ人に禁食とされているので、それを食べるなら「自分を汚す」ことになり、神との関係は断たれてしまいます。これは、肉食と菜食のどちらが良いか。という問題ではなく、あくまでも信仰の問題です。

 ②神の唯一性を妥協しないことです(3:12)。要するに、神とその御力はどのような

ものかと言うことです。王の金の像を拝むことは社会的受容を得るために無害なコミュニティ活動に見えるかもしれないが、それは信仰の核心に触れています。信仰を守る故に火の燃える炉に投げ込まれるとしても、その信仰を妥協しない者が受ける報いとして、第四の人イエスとの出会い、試練の中からの解放、神は栄光を受ける、神の好意を受けることになります(25-30)。

 ③神の律法に立つ生活を妥協しないことです(6:4,5)。要するに、御言葉を実行する生活のことです。もし、人をその信仰生活の出所と断つことができるならその人自身を滅ぼすことができるのです。信仰を守ることの故に獅子の穴に投げ込まれるかもしれないが、神に対する奉仕 、人と神に対する無罪、神に対する信頼の故に救われた証を通して、人を信仰に導くことになるでしょう(16-30)。

 

信仰を妥協しないことを通して自分の内と世に神の計画は成就するようになる。