2013年6月30日 「憐れみによって征服された」


2013年6月30日の礼拝メッセージはマルコ5:1-20から「憐れみによって征服された」と題して話されました。4と19節を中心にして、悪霊に取り憑かれた人の苦しみと苦闘に満ちた人生は、イエスの中にあるあわれみの力によって変えられました。

「押さえる」とは創世1:28によると、動物を制する。と同じ意味で、その人生は制することのできない悪と死の毒に満ちた状態です(ヤコブ3:7,8)。

彼は社会の中で非参加者;形而上世界に対して強迫観念を持っていて、;精神的に不安定な人;自己虐待をする人;他人の安全を脅かす人(マタ8:28);霊的な力によってもたらされた人でした。

原因は汚れた霊でした(神の性質と聖霊とに反対のすべてを示すもの)。

悪霊の働きの原因を前回の「暗闇のわざの目録」を参考にどうぞ。

 

悪状況の原因とそれに応答すべき行為は、自己のよくない選択と行為 「良いアドバイスを求める」;他人の行為と制御不能の事件「祈りによって神にゆだねる」;

わざと犯した罪や不従順 「悔い改めて罪の赦しを得る」;悪霊の活動(悪霊に対して強迫観念,抑圧、取り憑かれる の三つの関わり)「悪霊の追い払いによる解放 」です。

 

彼とイエスとの出会いによって地方と先祖代々の霊の働きをさらしました(10)。キリスト教的に「あわれむ」のはやはり「哀れむ」より「憐れむ」が合いそうです。

「憐」は心がある対象にひかれて、つらつらと思いが絶えないこと。 かわいそうに思っていつまでも心がひかれる、愛おしむという観念にある。

 

神は憐れみ深いお方です(詩篇 145:8;哀歌3:32;2コリ1:3)。

イエスは人にする行為と教え、十字架上の苦しみを通して憐れみを示されました。

この憐れみは今、聖書、教会、聖霊によって知ることができます。

彼に驚くべき恵みの働きが起こったことは、イエスについて行きたい。という願いと知り合いの中で立派な証をしたことで証明されました。確かに彼に働いていた、制することのできない悪と死の毒はそれより強い力、すなわち、憐れみによって征服されました。