2013年6月23日の礼拝メッセージはマルコ10:17-27から「後もう一歩、あなたの永遠の運命を決定する」と題して話されました.
人生の中であともう一つのことをすれば大成功を収めるようになる時は沢山ありますが、私達の永遠の運命に関わることより重大な事は一つもないでしょう。
人生の中であともう一つのことをすれば大成功を収めるようになる時は沢山ありますが、私達の永遠の運命に関わることより重大な事は一つもないでしょう。
この物語の中の人の身分は何であるか、何故、緊急状態のように走ってイエス様に永遠の命を求めにきたか、マタ19:20-23;マコ10:22,23;ルカ18:18からいろいろ考えることができます。(この人は「放蕩息子」の物語の中の兄弟だったかもしれない)この人の願いがかなえられるためにイエスがこの人に要求した不可能のように見えたことは、弟子たちに誰も救われないという疑問をおこしてしまいました(10:23-26)。この人の信仰への旅はよく始まったがあともう一歩が進めず失望に終わりました。それは、彼に財産があるだけではなく、間違った選択をしたからです。
学ぶ教訓には、
①イエスは神であることを認めること(17,18)。
②自分ではなく神のみに頼ること(21,24)。
③十字架を負うこと(マコ10:21原語訳)
これは何か嫌な状況の中にあるのではなく、己を捨てて、イエスに完全にささげて、自分はイエスの所有であることを認めることです)。
④神の力を信じ、より頼むこと(27)。
あともう一歩が進めなかった故に、永遠の命(神の御本質)、天にある宝(神にある報復)、神の国(生活の中での神の力)、救い(罪とその力から逃れること)を見失いました。イエスはこの人が永遠の命を得るためにわざと条件を難しくされているのでしょうか。いえ、そうではないが、永遠の命にあずかる者が要求されていることは何であるかはっきり言われました。「かれは悲しみながら立ち去った」(22節)の言葉は間違った選択をすることに対してもっとも悲しい解説です。あともう一歩前に進むより、後方に一歩を取ることによってでも、彼の永遠の運命(永遠の滅亡)を決定したかもしれません。彼と同じ間違いをしないで、あなたはあともう一歩で、永遠の運命を決定することができます。