2013年6月2日 「主にゆだねる人生」


201362日の礼拝メッセージはロマ6章から「主にゆだねる人生」と題して話されました。ロマ書616では信者のバプテスマを定義しています。その聖句を要約すれば、信者のバプテスマとは、第一に、 「私はイエス・キリストを、私の神様、 救い主だと信じました」ということの、 神と人との前での公の表明です。 第二に、「私はイエス様の『十字架の死と復活』の 御わざにあずかりました」という告白を、水の中に体を沈めて、 また起き上がる行為で告白しているのです。「水の中に沈む」のが「十字架の死と葬り」の象徴で、 「水の中から再び起き上がる」のが「復活」を 象徴しているのです。 そうやって、自分があずかったイエス様の救いの御わざを、 身をもって告白するのがバプテスマ式です。 第三に、イエスを信じた時に、聖霊によって目で見えない形のキリストの 体なる教会に霊的なバプテスマを受けましたが、「水によるバプテスマ」、すなわち「信者のバプテスマ」を通して、 同じ信仰を共有している主にある兄弟姉妹たち、すなわち、「地方の教会」という神の家族の中に、 正式に迎え入れられるのを公で表明するのです。 だからこそ、バプテスマというのは、 教会皆で喜んでお祝いするべきものです。 さらにもう一つの意味があると思います。それはまさに、今日のメッセージのタイトルにあげた「主にゆだねる人生」と言う意味です。13節はその主題を表明しています。重要な言葉は3つあります。1.「手足」が肉体、

物理的世界と人間の社会にあずかるつなぎ点 で、信仰の真理と実践を示す手段を意味しています。2.「器」のが、物事を作り出す道具、用途に合わせて使うもので、受動的ではなく、能動的 なもので、音楽、農業、戦争、そして、神に仕える道具と言う意味です。3.「ささげるとゆだねる」のが、原語からの由来は、横に立つ、同一する、忠実という意味で、すなわち、自分よりすぐれた者と同じ位置にいるようになると言う意味です。「ゆだねる」のが、信仰の最も深い歩みを表明する行為で、洗礼を通して約束したものを 今、キリストにゆだねる生活の中で 実行しなければなりません。「主にゆだねる人生」の目的は、 義。過去に強制的に罪と言う暴君に支配され、恥と死に至らせた今は、心から義に従い、そのしもべになっています。 清潔。キリストを信じることによって、神の本質、すなわち、清潔にあずかっています。それは、瞬間的に聖別され、神との位置に入ると同時に、清潔は実践的なものです。キリストと同じ有様に変えられつつある経過です。 永遠の命。これは未来の希望であると同時に現在にあかずかっている境遇と祝福です。これ等の3つの目的に至らせる動機と動力には、 人生の中に働いている神の恵み、好意、 真理。ただ、受け身の経験で伝えられた真理だけでななく、その真理を信じることによって、その真理と積極的に結びつけられると言う意味もあります。こうして、真の自由を得、実を結ぶ生活をする。 主キリストイエスと言う神の賜物。あなたの内におられるキリストは最も力ある動機です。主にすべてを ゆだねましょう