2013年5月19日の礼拝メッセージはエゼキエル書47:1-6から「聖霊でしみ込んだ人生」と題して話されました。
ペンテコステの日、聖霊降臨日と呼ばれている今日は昇天なさったイエス様が聖霊を下されたお祝い、教会の誕生日とも考えられています(使徒2:1-4,33)。
ヨハ7:37-39の中でイエスはエゼキエルが見た宮の中から流れ出ている川の象徴を引き出して、ご自分を信じる者が受ける聖霊を語られました。この預言的幻はペンテコステの日に歴史的に成就されましたが経験上では使徒たちを始め、初代教会、そして、全ての信じる者の人生の中で成就されています。
「泳げるほどの川となり、渡ることができない川」とは、聖霊でしみ込んだ人生を意味しています。
水のかさは重大点です。
聖霊の深い経験をして、聖霊による豊かな生活の供給を初めて知るようになる
(エゼ47:7-9;詩33:7;1コリ2:9-11)。
神は深みへと招いておられます(ヨブ38:16;ルカ5:4;ロマ11:33;エペ3:18)。
聖霊をどの程度経験するかはどんな種類の測りなわ(考え)を使用するかによって決まっています(マコ4:2)。無関心、理性
、過去の絶望 、宗教的習慣 、恐怖 の測りなわではなく、御言葉、信仰 、うえ渇き 、従順 の測りなわを使いなさい。
ペンテコステの聖霊を受けませんか。
その象徴はエゼキエルが見た川でエゼ47章、説明はイエス様が約束された聖霊です(ヨハ7:37-39)。
歴史的な成就はペンテコステの日ですが(使徒2:1-4)、経験上での例はエペソの町にいる信者の事です
(使徒19:1-7)。聖霊のどの程度の経験をしていますか。足首、ひざ、腰、または、泳げるほどでしょうか。
「これを見たか」エゼ47:6.