2013年5月5日の礼拝メッセージは1列王記8:54-63から「新礼拝堂の献堂式と個人の献身」と題して話されました。
神の家を聖別された場所として認めるなら、入るたびに神と特別な出会いができます 。1列8:63を中心にして、この原理を見てみます。
聖書の中で「宮」と訳された言葉は「住屋、住まい、住居」という意味です。
これは神様が人類の中に住んでおられることと、神様と教会の建物の中で会えることを示します。
教会が存在する目的、そして教会で集合する目的は何であるか、聖書の中の4つの宮の奉献式から学びましょう。
① モーセの幕屋(出40章)
荒野にある証の幕屋(使7:44,45)と呼ばれて、神、キリスト、救い、信仰生活の基本的な真理を象徴しています。全ての物が油注がれて、神の臨在を現わしています。
② ソロモン王の宮(1列8章)
約束の国カナンの地が象徴するように落ち着いた信仰生活を示しています。主が共に住み(主の家「宮」)そして、主の御名による信仰生活、すなわち、全ての状況の中で悔い改めと祈りによって罪が許され、神と交わりを新たにすることを意味しています。
③ ヒゼキヤ王の宮(2歴29章)
罪のゆえに破壊された宮の再建設によって民は神と和解し、音楽と歌による賛美礼拝を通して神に仕える生活に戻されます。
④ エズラ王の宮(エズラ書6章)
エズラは信徒でありながら祭司と預言者として、神の宮に栄光を与える務めに任命されました(7:27)。栄光を与えるとは、飾る、美しくする、健康、誇ると言う意味です。これはキリストの購いの十字架を意味する過ぎ越し祭り(聖餐式に当たる)を中心にして、預言者(神の励ましの言葉を教えること)を通して成功しました。
上記の事柄は今日、この新礼拝堂を神に奉献する目的にあたります。
そして、自分は神の宮であることを知った上で(エペ2:20-22;1コリ3:16.17;2コリ6:16-7:1)自分を全焼のいけにえとして神にささげるべきです。