2013年4月28日の礼拝メッセージは「向こう側に渡って」シリーズとして、ヨシュア記1:1-9から「ヨルダン川の横断ー聖霊によるバプテスマを通してキリストにある豊かな生活」と題して話されました。ある讃美歌の歌詞のようにヨルダン川が死を意味し、カナンの地が天国を意味するのではありません。ヨシ1章の中で神がなされようと約束していることは全て地上におけるクリスチャン生活のことです。すなわち、信仰を戦いに置いて豊かに勝利する生活の約束です(民数記13:17-30)。
多くのクリスチャンが勝利を得ない理由はヨルダン川をまだ横断したことがないからです。不信仰のために(民13:31-33)一つの世代は荒れ地で死んで(民14:34)この豊かな生活に入らなかった。問題は彼らがエジプトを出たが(紅海の横断の意味)エジプトがまだ心の中から切り抜かれていないことです。
信者が経験すべく全てのことはイエス様の生涯の中でも起こりました。ヨルダン川でイエス様は聖霊によるバプテスマを受けられました(マタ3:13-17)。かれが信者に聖霊を授ける方となっています(マタ3:11)。この聖霊は信者の中から出る永遠の命の泉としてはじまり(ヨハ4:14)、そして生ける水の川となります(ヨハ7:37-39)。
キリストにつぐバプテスマを意味する紅海の横断は罪に対する悔い改めと神に対する義を意味する海の塩辛い水で行いますが、聖霊によるバプテスマを通してキリストにある豊かな生活を意味するヨルダン川の横断はカナンのレバノンの山から流れる甘い清い水で行っています。
紅海の横断は夜間中、見えない霊的な次元で起こりますが、ヨルダン川の横断(聖霊のバプテスマ)が午前中(朝9時、使2:15)目で見える次元の中で起こっています。
ヨルダン川の横断にもっとも目立つことは、
① 聖霊のバプテスマを予想している神の臨在を意味する契約の箱の活躍です(3章)。
  カナンの豊かさに道を開く;アダムという町にまで水が立ったのは聖霊によるバプテスマが創世記のアダムの時にまで及んで罪ある性質の働きを亡くすのです。
② 2つの記念石を立てたこと。4:9の石は川の荒れ地の方から取ったあらっぽい石で、まだ生まれつきのままの状態、神に服従できない、世的な性質を意味しています。
  これをヨルダン川の中で死なせます。4:3、20-24の石はキリストに従った新しい性質を意味しています(5:9)。これは聖霊の働きによる「割礼の契約」を意味して、キリストによる神との関係を確認するのです(使徒7:8;創17:11;ロマ4:11;申命10:16;エレミヤ4:4;エペソ1:13,14)。
神が与えるこの豊かな勝利ある生活を自分のものとしなければなりません(1:3、11)。エジプトに戻るのか、荒れ地で死んでもかまいませんか。