2013年4月14日に礼拝メッセージは2013年のイースターシリーズとして、使徒3:1-8から「イエスの御名によって」と題して話されました。初代教会は、イエスの復活は事実であると強く信じて、福音宣教の中でそれを大胆に語りました(使徒4:33)。イエスの33年の生涯、十字架、そして、復活は現代に生きる私たちにも、信仰によって現実のものです。イエスは既にこの原理を教えられました(ヨハ20:29-31)。当時の世俗的な法律学者たちも、この言葉は個人の人生と社会を、変える力があると認めました(3:17、18)。「イエスの御名によって」は、私達に次の祝福をもたらせるのです。① イエスの御名によってのみ、救われます(3:10、11)。人生と永遠性を築く礎(2:21);永遠の命の源です(ヨハ20:31)。②イエスの御名によってのみ、イエスの弟子としてクリスチャン生活を成長させることができます(マタ28:18-20)。その弟子としての生活の出発点はイエスによるバプテスマを受けて、イエスの教えに人生を築く決心をすることです(使徒8:12;19:1-6)。③イエスの御名によってのみ、人生の状況の中で神の奇跡的な力を受けることができます(使徒3:6-13)。人間ができないことは、神のみができます。信者にないものを通してではなく、ある(持っている)ものを通して神様が働いてくださるのです。④イエスの御名によってのみ、教会に預かることができます(1コリ1:2)。イエスの御名によって個人的に世の人々と区別されて、合同集会の中で、イエスの奇跡的な臨在が与えられます。「イエスの御名によって」とは、自分とイエスの関係を口に出す表現です。イエスは誰であるかを認める方法です。そして、人生と生活に甚大な力をもたらす信仰の告白です。ところが、この言葉は、魔法使いの杖ではありません。イエスと意味ある関係がなければ何効果もないばかりでなく、かえって、神の裁きを引き起こし、自分と神の間に隔てを作るようになります(使徒8:18-23;マタ7:21-23)。「イエスの御名によって」とは、イエスが地上におられた時でであろうとも、今、天におられようとも、イエスにあるすべてを私達のところにもたらせる神の力です。