2013年3月31日の礼拝メッセージはヨハ20:1-18から「どちらのイエスを探しているのですか」と題して話されました。もしイエスの復活が事実でなければ人類に対して犯された最大の悪ふざけとなります。事実であれば人生だけではなく、永遠の運命に対して重大な意義ある歴史的な出来事になるでしょう。多くの人は十字架に架けられたイエス、死んだイエス、空っぽの墓までは信じても、生き返ったイエス、今もなお生きていて、まして、そのイエスと出会い知ることができるとは信じることができないのです。マリヤと同じように目の前にイエスが立っておられるのにイエスであることがわからず、自分自身に何の影響もしていないのです。何故なら、間違った違うイエスを探しているからです。イエスの復活が事実となる証拠は墓の中に残しておいた軽かたびらに見ることができます。イエスの体に巻いてあった亜麻布は体が通り抜けたように、ぺしゃんこになっていた。体が盗まれたとしたとき、亜麻布を取り外してからまた体に巻いてあるように巻きなおすことは考えられないです。ヨハネがイエスは生き返ったことを信じた理由は、どのような宗教的な真理の上ではなく具体的な、しかも、目で見た証拠によることでした。マリヤの信仰への旅は私達の信仰への旅を描いています。マリヤは死んだイエスを見つける考えに取りつかれている。イエスの死体を見つけたら、今日、多くの人がしているように動物のように剥製にし、ワックス(蜜ろう)で像を作り、ステンドグラスの窓に描くでしょう。マリヤの最大の間違いはイエスをそうでない者をそうある者のように仮装してしまったことです。死んだイエスとよみがえたイエスと共にもう一つのイエスがいる。神であり人なるイエスです。このイエスは創造主なる神が人を救ってくださるために人となられたイエスです。イエスの復活は人生と永遠の運命に重大な意味を持っています。①人生の中の苦しみに対する答えです。②真理を求めるのに対する答えです。③私達の復活の保証です。④キリストに対して証を要求している。どちらのイエスを探しているのですか。あなたは真のイエスを見つけましたか 。