2012年11月11日 「人生に中で神のキリストにおける働きを奉じること」


20121111日の礼拝メッセージはルカ5:36-39から「人生に中で神のキリストにおける働きを奉じること」と題して話されました。生れたばかりの赤ちゃんを抱き抱えている新母の喜びはお母さん以外のだれもが知らないでしょう。母は生みの苦しみを忘れて、自分を捧げてその子供を育てるという責任をはたしています。「抱きしめる」とは何という意義ある言葉でしょう。人生の中に受けるものはあるいは良い、あるいは悪い結果を生じるさせるのです。抱擁は選択を必要としています(伝道3:5);精神的な健康に利益となる(箴言4:7,8);絶望的な行為をするようになる(哀歌4:5)。奉じるとは人生の中で神のキリストにおける働きを理解すること、日々の生活と永遠の運命に影響することに対する選択、そして、個人と共同生活に生じる物理的と霊的な祝福に関わっています。優れた教師であるイエスは永遠の真理を教えるために「たとえ」、(天上のことを教えるように地上のことを例にする)をよく用いられました(36-39)。この2つの例えを自分に反対する者の理屈に応えて、神の国に生きることは何だかを教えています。イエスは神の国に生き、仕えるために 普通の人々を招いています。漁師、病人、罪人の人々は喜んでイエスを抱擁して、神を拝むようになった。神の国の一部を他の宗教に付け加えることは許されない 。新しい着物は神の国のことで、引き裂いて古い着物は他の宗教のことです。合わないので両方がだめになる(マタ9:16;ルカ5:36)。神の国は新しい皮袋が必要です。ワイの発酵の進行から取った例です。古いワイの入った皮袋は時がたつにつれて伸びていきます。発酵中のワイは拡張することによって古い皮袋を裂かせてしまう。新しいワイと新しい皮袋は同時に拡張していきます。神の国を望まなければならない 。口に古いワイの味がまだ残っているなら新しいワイの味を望まない。学ぶ教訓は3つです。イエスが神の国を持ってこられた新しい皮袋です(使徒2:22;ヘブ1:1-3)。神の教会における働きは新しい皮袋が必要です(使徒2:14-18)。神はキリストによる購いを通して人々が皮の材料となり、新しい皮袋を作っています (2コリ5:17)。あなたの人生の中で 神のキリストにある働きを 奉じようではありませんか。