2012年9月30日の礼拝メッセージはヨハネ9:1-7から「栄光を現わす神の驚くべきわざ」と題して話されました。神が私達の人生の中になされる全てのことは私達の良さの為ではなくご自分が栄光を受けられる為にです。ですから、何をどのようにするかは神ご自身の主権に従って自由にされるのです。参考ヨハ11:4;14:13;2:11(この奇跡は「はじめのしるし」と呼ばれています。はじめと言う言葉は基礎的、源、全ての奇跡が行われる原理、力、目的を示すと言う意味です)。では、盲人の物語の教訓を学びましょう。① イエス様がご自分は誰であるか示すために私達の人生の中に働かれるのです。イエスの身分を示している8つの名称があります。これらはイエスの御名の栄光を示しています。② イエスが私達の自然的、道徳的、宗教的の考えにチャレンジを与えて、対立するために私達の人生の中に働かれるのです。人に起こったことは多くの人に影響を与えて、彼らの考え、生活の根本の価値に挑戦しました。ここには3組の異なったタイプの人がいます。第1組は隣人です(8-12)。奇跡は彼らの慣れ親しんでいる問題にチャレンジを与えました。盲人をよく知っていたので、その盲目と奇跡を疑うようになりました。人間関係は考えや、判断力や、決心などに対して影響を与えて、真理に対して思い、心、信仰を曇らせます。第2組はパリサイ人の宗教家です(13-16)。奇跡は宗教的偏見にチャレンジを与えました。彼らは奇跡に感心を持たないばかりではなく、習慣、習わし(14,16)、掟、ルール、組織を冒したことだけに心を留めました。第3組は両親です(18-23)。奇跡は社会的追放に対する恐怖にチャレンジを与えました。当時では、グループから追放された者は、経済的、政治的、商売的生活は非常に困難な状態になりました(参考ヨハ12:42;エズラ10:8;使徒13:50;1テサ2:14-16)。両親は選択をするようにチャレンジを受けましたが現在の仲間から追放される恐れから、さらに大きい神の祝福を受ける決心をできませんでした。③ イエスがご自分と救いの関係に導くために私達の人生の中に働かれるのです。盲人の癒しは目的ではなく、魂の救いでした。これは極めの栄光です。奇跡を受けた所から救いを得る所までの進行を見てください(31-38)。あなたはのストーリの中のどのタイプの人でしょうか。