2012年10月7日の礼拝メッセージはピリピの手紙1:19-23から「キリストの素晴らしさを現わす命と死」と題して話されました。神との関係、信仰を試す事の中で愛する友の死亡より大きいものはないと思います。通常に考えないことや言わないことを言ったりする自分を見いだすようになるでしょう。そして、神に疑いを持つようになるかもしれません。他方では、そのような状況は信仰を強化し、神、教会、そして、兄弟姉妹との交わりを深め、捧げる機会を与えるでしょう。その上に、未信者なら、心を探って、イエスキリストと自分の関わりを調べるようになるでしょう。今日の話題を通して聖書が教える「死」とうい事を見ましょう。ピリピ書は使徒パウロの「獄中からの手紙」と言われる。その思いがけない状況の中で彼の霊は高くはばたくして、心のなかで抱いている大いなる希望を示しています。釈放される期待を持っていながら神、キリストの主権にお委ねして安心しています。そして、生きるか死ぬかどちにしても、キリストの御名が崇められるようにと願っています。21節は彼の人生の目標と標語です。そして、心の奥底にある考えを示しているー「天国に行きたい、イエスと共にいたい」しかし地上での使命は十分に果たされていない。信者の死は何でしょうか。二つのものの分離することです。① 身体と霊の分離(雅歌12:7;ヤコ2:26)死は心臓の脈が止まることではなく、霊が取られ去ることです。② 地上と天上が分離することです(ピリ1:23;2コリン5:6-8;1コリン15:19,26)。次に、癒しの祈りを考えましょう。神にお願いして、事情を変えて下さるようにと祈る時、だいたい、その状況が原状に戻るように考えているでしょう。しかし神様は原状に戻るより、更によい状態へ進むように考えていらっしゃるでしょう。期待した通りのものを頂かないかもしれないが、更によいものを必ず頂きます。2コリン12:1-5に天国にあるものを示しています。天において聞いたことを地上では語り、言い表せないことです。信者の悲しみと慰めを考えましょう。① 望みのない人々のようにではない
(1テサ4:13,14)。そして、聖書の与える慰めによる(ロマ15:4)。人生の中の極めて悲しい状態の中から望みと喜びに変わった詩者の証を聞いてください(詩篇116)。そして、あなたの人生が生きるにしても、死ぬにしても、キリストの御名を現わしているかどうか反省してください。