2012年8月5日の礼拝メッセージは1ペテロ1:1-9から「金よりはるかに尊い信仰」と題して話されました。今、ロンドンで近代オリンピック第30回目の大会が行われています。オリンピックの宣誓をする時、選手の代表者が次の言葉を宣言します。「私たち選手の名において、オリンピック憲章に則り、スポーツの栄光と、チームの名誉のために、オリンピック競技大会に参加することを誓います」。今回の大会で贈られている金メダルは400グラム、今までで最も重く大きいものです。しかし、この100年間、純金で作ったメダルは贈られたことがありません。今回の金メダルは、金1.34%、銀92.5%、銅6.16%、で出来ていて、要するに混じりけのある物なのです。同じように信仰も、真の物であるかもしれませんが、混じり物のある信仰になる可能性があります。信仰は神から賜るものなので尊いものです。それを混じり物のある信仰にしてしまうのは聖められていない人間性です。信仰を聖くする手段は、金属を精錬する技術に例えられている人生の中で経験する試練です(箴言17:3;27:21;エゼ22:18;イザ48:10;申命記4:20;1列王記8:51)。この混じりけのある信仰について、1テモ1:5(偽り);2テモ1:5(純粋)の原語では「偽善的な信仰」と言っています。今日「偽善」はネガティブな意味ですが、昔は歌舞伎や能でお面を付けて活躍する役者のことを意味していました。すなわち、自分の真の姿を隠して別人のように見せかけるということです。この混じりけのある偽善的な信仰を調べて、精錬されているかいないかの結果の違いに注目しましょう。①忍耐の無い信仰。ヤコ1:2-4。②二心のある信仰。ヤコ1:5-8。③人をえこひいきする信仰。ヤコ2:1-5。④行いの無い信仰。ヤコ2:14-17。⑤賛美と祈りのない信仰。ヤコ5:13-15。試練は神が用いられる信仰を精錬する手段です。その中で神に守られ、称賛、栄光、栄誉に至っていきます。試練の中にいる時、持つべき実践的な態度はイエスに対する愛、信頼、栄光、喜びです。