2012年7月29日の礼拝メッセージは「独房からの説教」シリーズとして、使徒12章と16章から「鉄の門が屈する時」と題して話されました。12:10と16:26を中心に見てみると、この個所には互いに無関連な出来事が2つ出てきますが、語られている真理は同じものだと分かります。もう一度この2つの物語を読んで、似た点と似ていない点を注目して見てください。12章ではペテロは牢屋から奇跡的に脱出させられました。脱出の目的はユダヤ人に対して福音宣教の使命を果たす為でした(マタ16:16-19;ヨハ21:15-17;ガラ2:7)。16章ではパウロは脱出する機会を用いず牢に残るのを選び、自分の肉体的な自由を犠牲にすることによって、他の人々に霊的な自由を得させることに成功しました。では、この2つの出来事から自分の信仰生活の為に教訓を学びましょう。①神は御自分の御心を行うために、私達を「牢屋」のような状況の中に置かれておき、また、その状況の中から救ってくださいます。その状況の中に残ることが神の御心であるという確信を持つべきです。そして、聖霊に満たされ祈っている信者の兄弟姉妹に囲まれて平安をいただき、神の主権に自分をゆだねます。脱出させられた後は、自分に対する神の御計画にもっと捧げ切っていかなければなりません。②祈り、賛美、礼拝という霊的な行いを通して、自分の為に神の御手を動かす事が出来ます。私達の中に、または私たちを通して、神の御計画を成功させまいと働くものが沢山ありますが、神の力に屈しないものはありません。神は御自分の権威に従って働いていますので、その主権に任せるということこそ最大の脱出であるのです。③皆の人生の状況の中に「鉄の門」があります。それは神に服従しない者に対しては閉じ込める門ですが、従う者にとっては「町に通じる門」すなわち、神の御国の祝福と力に通じる門となります。これで「独房からの説教」シリーズを終わりにしますので、このシリーズを通して学んだことを要約します。①すべての投獄は神の恵みと力を知る機会です。②投獄は私達の内にキリストらしい性格を生じさせます。③解放と脱出はキリストへの献身を要求します。④神の救いはいつも御名と御国の為に社会に従事するように導きます。町に通じる鉄の門を通って、神の御国の自由と力へ行きましょう。