2012年7月15日の礼拝メッセージは「独房の中からの説教」シリーズで、エレミヤ書33:1-8から「未来の祝福を確保する最上の方法-その2」と題して話されました。32章でエレミヤは畑を買いました。この「畑」とはキリストによる神の国を意味しています。神の国を所有することだけにより未来の祝福を確保することができます。30~40章は神の国の中で生活を送るための信仰の基礎的な要素を教えています。33章、神を喜ぶことと神を喜ばすこと。人間の最高の目的は、神の栄光をあらわし永遠に神を完全に喜ぶことです。神の国について真理を知れば知るほど、霊的、肉体的、精神的な健康が回復し、喜びに満ちた礼拝を捧げることによって、神を喜ぶとともに神を喜ばせているのです。34章、贖いによって社会的・経済的な祝福を得ること。この章ではレビ記25章の中にある「ヨベル(自由を得る)の年」の規定が見られます。贖うとは解く、ほどく(loose) という意味ですが、赦す、および許す(forgive)という意味もあります。キリストによって自分が赦されて、そして人を赦すことによって自由を得るのです。35章、聖別された生活が要求されること。レカブ人はナジル人の誓願を立てて、全生涯を神に捧げきっています。世の中で神の心と信仰に反することに妥協してはいけないという事を教えています。36章、神の本質を示す言葉を信じ(ネヘミヤ記8、9章参照)、奉仕すること。神の性質を知ることによって、礼拝と奉仕をもって応答します。37章、神からの供給を受けること。神の供給を決して自己の満足のためにではなく、神の国の働きのために用いるべきです。パン屋は王のパン屋で、王なるキリストの十字架と復活による神の祝福を意味しています。38章、恐怖に対して従順が要求されること。どんなにおかしいと思えても、神に従うならいつも祝福を得ます。信仰の無い人はいつも信仰と従順の行為を欺いています。39章、天国に対する前途への望みを持つこと。エレミヤは、主君たちによる行列に伴われ釈放されて、家に連れて行かれました。私たちは天使に連れられて天に入ります(ルカ16:22;24:51)。生活の苦しい事情の中で「家に連れて行かれる」ことを信仰を持って待ち望みます。40章、キリストの御国の果実を楽しむこと。信者としての生活とは、キリストに仕え、一緒に祝福の収穫を刈り取れるということです。鎖を解き放たれ、住居を自由選択し、豊かな地上と天国とに生きることは究極の自由です。これは神の国の中で生活を送るための信仰の基礎的な要素です。