2012年6月10日 「神の命に預かる者」
2012年6月10日の礼拝メッセージは使徒5:17-20から「神の命に預かる者」と題して話されました。20節にある「いのち」という言葉は原語の「ゾエー」から訳されており、新約聖書の中では「神の命」という意味です(1ヨハ1:1、2)。このゾエーの命は福音によって知らされ、イエスキリストを信じ受け入れることを通して与えられています。そして、このゾエーの命は信者個人の人生と日常生活の中、そして教会生活の中で味わわれています。ただの宗教心を持った人にとっては未知のものなので、恨みを持って驚くばかりでいるのです(24)。反対に、このゾエーの命に預かる者は自分の人生を神の手に置き、期待と興奮を持って「どうなっていくのか」と楽しみにしています。この聖書の個所の中では、使徒たちが牢から釈放され、また逮捕され、宗教議会に連れて行かれ、そこで自分たちについての弁明をする場面が書かれています(29-41)。その弁明の中で「神の命に預かる者」は何者であるかという意味を知ることができます。①サタンの支配から解放されること(19)。使徒たちの入獄は神から与えられた使命を果たすという機会を使徒たちから奪いました。これはサタンの働きです。もし釈放されなかったならキリスト教はそこで滅ぼされることになったでしょう。イエスは悪魔のわざを滅ぼすために来ました(1ヨハ3:8;ルカ4:18、19)。使徒パウロもこの使命を受けました(使徒26:18)。信者の務めも同じです。そして未信者はこのゾエーの命によって自分を解放することができるのです(2テモ2:25、26)。②神の権威に服従すること(28-31)。信者は新しい支配下に入るようになります。ただ信者には人間か神か、どちらに従うかという自由意志がまだはたらいています。また、事情や状況が反対に見えるようであっても、目で見えるものか、または信仰の従順によって神に従うかを選ばないといけないのです。神の方を選ぶことによってサタンに立ち向かい、勝利を得るのです(ヤコ4:7、8)。③十字架によって自分に義を認められること(30、31)。サタンに対抗するために最も有効的な武器は「義」です。その義は罪の許しから来て、罪の赦しは悔い改めによって与えられています(ロマ8:33)。しかし悔い改めは神から受ける賜物です。自分には神にそむいた罪があると認め、赦されたいという心を示すなら与えられます。④聖霊の証を受けること(32)。この聖霊の証は「自分が救われた」という強く揺ぎ無い確実な確信がその人の内に与えられることです(ロマ8:16;1ヨハ5:9、10;4:4)。⑤神が味方となってくださること(33-41)。あらゆる状況の中で神が共にいることです(ロマ8:31-39)。あなたはこのゾエーの命に預かっていますか。