2012年4月8日「どちらのイエスを知っていますか」 イースター説教シリーズ
2012年4月8日の礼拝メッセージは2012年のイースター説教シリーズとしてマタイ28:1-15から「どちらのイエスを知っていますか」と題して話されました。中心的な聖句の中に三つのイエスの姿が見られます。1.十字架につけられたイエス。2.死んで、葬られたイエス。3.よみがえられたイエス。大まかに言うと、十字架は罪の取り扱いにおいて神の要求を満足させ、そして、復活は神の力によって、神と一致した人生を可能にするものです(ガラ2:20)。聖書にはイエスの復活が事実であることを証明する証拠が沢山あります。キリスト教の護教論者で弁護士でもあるジョシ・マクダウル著者が書いた「判決を要求する証拠」という本があります。この本は、キリストの復活が事実であるかどうか確認するために裁判が行われたという設定で書かれています。そして証拠を提示した後、読者に判断を下すよう求めています。結論として、「キリストの復活を世界中のどの国の裁判にかけても、圧倒的な証拠の上に、イエスの復活は事実であるとの判決を下す他にない」と書いています。ではキリスト教信者の人生におけるイエスの復活の意味は何でしょうか。①復活はキリストが神の子であることを確証しています(ロマ1:1-4)。キリストについて、聖書の記録は正確で、預言は信用でき、処女誕生は事実であり、奇跡は真実で、永遠の救いを信じられるように確実にされています。②復活は神の命に満ちた人生を可能にします(ロマ6:3-13)。この聖句の中で復活がもたらすものについて注目してください。新生、罪からの解放、死に打ち勝つ力、神に対する奉仕、義の武器。③復活は罪の許しを頂くために信仰に力を与えます(1コリ15:12-17)。復活なしには信仰は無力です。④復活は私たちを打ち勝つ者とします(エペ1:15-23)。復活に対して神の啓示を頂くと、敵対するものに打ち勝って上に立つ者となります。⑤復活は神と親しい関係を可能にします(ヘブ7:24、25)。復活によって天にお入りになって、わたしたちに神と交わることのできる道を開かれました。⑥復活は私たちの復活の保証です(1コリ15:22-52)。ここで、キリストの復活に対して判決を下していただきます。そして、ご自分の信仰を今一度見直していただき、復活したかそうでないかについてどちらのイエスを信じているか考え、反省し、状況を判定していただきます。