2012年3月25日 「最後の晩餐-深い愛情と暗い裏切りの場面」 イースター説教シリーズ
2012年3月25日の礼拝メッセージは2012年イースター説教シリーズとしてマタ26:17-20から「最後の晩餐-深い愛情と暗い裏切りの場面」と題して話されました。イエス様はユダヤ人なのでユダヤ教の全ての祭りを守られました。イエスの「最後の晩餐」は過ぎ越しの祭りの最中での出来事です。マタ26章、マコ14章、ルカ22章、ヨハ13章に記録されています。その中で見られる4つの場面から教訓を学びましょう。①過ぎ越しの祭りのための準備とそれを祝うこと(マタ26:18、19)。ここで学ぶべき教訓は、1)イエス様は私たちの人生の中におられたい。2)生活の中で起こる様々な出来事を通して、イエス様との密接な関係の中に導かれている。3)神はその関係に入るために全てのものを用意してくださった。4)しかしながら、そうなるためには悔い改めと信仰が必要である。②主の晩餐を制定すること(マタ26:26-29)。これは教会の中で行っている「主の食卓」と呼ばれている聖餐式にあたります。パンとぶどう酒は罪の許しを頂くために、イエスの体と血を意味しています。神の国に属している者が、イエスと互いに預かることのできる親密な関係を示している食事です。これを行うことで、キリストによる購いとご再臨についての福音を演義しています(1コリ10:16;11:23-26)。③イエスが弟子たちの足を洗うこと(ヨハ13:1-17)。これは、イエスが自分自身を誰であるかを知った上で行った、深い愛情の行為でした。キリストの十字架の血によって頂く罪のきよめを象徴しています。④裏切り者ユダを確認すること(マタ26:21-25)。深い愛情があるとともに、暗い裏切りもある可能性が示され、ユダの裏切りが十字架と復活には必要であることを説明しています。ユダの心がイエス様の方に向いていなかったので、サタンの奴隷になってしまいました(使徒1:15-25;マタ27:3-10;ヨハ17:12)。全ての人の中に「ユダ」という性質があります。罪によってイエス様を十字架に付けてしまった性質です。最後の晩餐から学ぶ教訓は二つです。1)イエスは私たちがどのような人であっても愛しておられ、ご自分に愛を返す機会を与えてくださっている。2)イエスの御前に二人の者がいます。足、手、頭、自分の全てをイエスに捧げるペテロのような者と、心をサタンに売ってイエスを裏切るユダのような者。あなたはどちらに似ているでしょうか。