2012年3月4日 「キリストの十字架と救いに至る悔い改め」
2012年3月4日の礼拝メッセージは2コリ7:9-11から「キリストの十字架と救いに至る悔い改め」と題して話されました。十字架は神と人間の間に立って、一方では罪に関して正義を要求される神を満足させると同時に、他方では罪の赦しをいただく必要がある人間の要求を満たします。キリストは神と人間、両者を代表しています。神は聖であり、正義であり、誠実な方ですから、人間もそれと同じであるよう要求しておられます。不聖で、不義で、不誠実であっては、その要求を満足させることはできません。そこで、神はキリストとなって、ご自分で罪が要求する代価を十字架の死によって払われ、神と和解することのできる道を人間に開いてくださいました。ところがそのためには、人は、来て、悔い改めと信仰を通して救いを受けなければなりません。第1の手紙の中で、使徒パウロがコリント人の罪を明確に示しました。そして彼らはよく応答し、悔い改めて罪の許しと救いを得ました。その過程では、まず、神に沿った悲しみが現れ、その悲しみが悔い改めを生じさせました。神にかなった悲しみは、聖と正義と真実な神を悲しませたことを認めて悲しんだ、ということです。反対に、世の悲しみとは、自分が害を受けたせいで悲しむ、ということです。一つは救いに、もう一つは死に至るのです。悔い改めは悔い改める者に次の結果を生じさせます。①熱心。「急ぐ」という意味で、決意し、神の御心を急いで行いたい、神を喜ばせたい、という心を持つことです。②弁明。「口に出して証言する」という意味です。キリストを積極的に証ししながら罪を犯さないように注意することです。③憤り。「いらだち、うるさい、炎症の状態を泣く」という意味です。罪の意識、鋭い感覚を持って敏感に誘惑などを退けることです。④恐れ。「恐怖症」という意味です。二度と罪を犯さないよう、罪に対して消極的な態度で恐れながら、積極的に神を敬い、敬虔な態度を持つということです。⑤慕う心。「あこがれ、愛情」という意味です。神と親しい関係の中に入って心を注ぐことです。⑥熱意。「ゆでる、沸騰している」という意味です。湯がぐらぐら沸き、御茶を入れる準備が常に出来ていると同じように、すぐに神の御心に応答できる心を持つことです。⑦処罰を断行させる。「正義を行う、懲らしめる」という意味です。競技者がコーチの言うことに聞き従って訓練し能力を高めるように、聖い勝利の生活をするために弱点を克服するということです。⑧潔白。「白紙」という意味です。これは悔い改めがもたらす結果を総括するもので、自分の罪の記録は取り消されているということです。これは神に沿った悲しみと悔い改めが生じさせる救いです。あなたは悔い改めたでしょうか。