2012年2月19日 「ダビデのかぎ―信者の生活におけるキリストの権威」
2012年2月19日の礼拝メッセージは黙示3:7、8から「ダビデのかぎ―信者の生活におけるキリストの権威」と題して話されました。黙示録においてキリストは諸教会への7通の手紙を通じ、それぞれの教会の持つ事情に応じてご自分のことを紹介しておられます。この箇所では「ダビデのかぎを持つ方」と紹介しています。「友の愛教会」と言う意味を持つフィラデルフィヤ教会の状況は、神の言葉に対して忠実であった故に霊的な力によって悩まされていました。しかし、少しばかりの力しかなかったのでその悩みを解決できませんでした。そのため、怯えた子犬のように尻尾を足の間に入れて、自分たちの内に引き篭もったかのような存在となりました。解決としてイエスが「ダビデのかぎを持つ方」として彼らのために門を開けておいてくださいました。もしキリストの権威の内に立つなら、生活の中の事情を変えていくことができるというのがこの御言葉のメッセージです(9、12)。あなたの生活に変化の時がきていませんか。それなら、開かれている門を出て行きなさい。イザ22:20-22の「ダビデのかぎ」という言葉は、権威をもって支配する者の位を意味しています。そしてこの聖句はエルヤキムにだけ宛てられたのではなく、預言的にキリストに成就することになります(イザ9:6、7)。「主権はこの肩にある」という言葉は、古代に商売人や主権者がかぎを布に結んで肩に掛けた習わしを示しています(ヨブ31:35、36参考)。イエス様はダビデの子孫として聖霊の油注ぎによってこのかぎを授けられました(ルカ4:18)。信者の生活において、イエスは次のような状況下で権威のかぎを持っていることが示されています。羊飼いとして(ルカ15:5);天と地の主権者として(マタ28:18-20);教会のかしらとして(マタ16:18、19)。ダビデのかぎの権威を通してフィラデルフィヤの教会のために門を開いておいたように、私たちのためにも次のような門を開いてくださいました。地上で天の御国の力を生活に放つ門(マタ16:18、19);世界にキリストの福音を広める門(マタ28:18-20);ご自分と親しみを深める門(ヨハ10:1-9);神の臨在の中で生活する門(黙3:7);勝利を得る門(黙3:9)。開いておいた門から出ないようにとの警告に注意しなさい(黙3:11)。あなたの前に、キリストの権威の内に立って生活の中の事情を変えていく門が開かれています。出て行きませんか。