2012年2月5日 「聖餐式とイエスの仲介者としての務め」

2012年2月5日の礼拝メッセージは1テモテの手紙2:4-7から「聖餐式とイエスの仲介者としての務め」と題して話されました。神と人間の間にイエスキリストのみが一人立っているという真理は、キリスト教を他の宗教から異にするものです。一般の世間においての、仲介をする者が当事者双方の間に立って便宜の図りごとをまとめるという務めは、聖書の中にも書かれています(ヨブ9:33;イザ43:27;マラ2:12口語訳)。ところが聖書的な仲介になると意味は少し違います。国語辞典にもイエスの仲介者としての働きが次のように記してあります。「キリスト教で、十字架上の死によって人類の罪を贖(あがな)い、神との間に立って人類の救済を実現したイエスキリストをいう」。聖書による仲介は、仲介者が神と人間、両者の性質を持つこと;仲介者自身が無罪であるからのみ成功すること;仲介者が人間のために償いとなる自己犠牲を払うこと;神の道徳的及び法律的な要求が満たされること、です。これらのものは1テモ2:4-7から読み取ることができます。神の要求は人間が救われることです。イエスは神として神の正義を代表し、また、人として人間が有罪であることを代表しています。そして、法律的及び道徳的な要求を満足させるために代価を払ってくださいました。聖書では仲介の力に「契約」が加えられています。この契約は両者の便宜によるものではなく、圧倒的に一方的なものです。イエスがその契約を作り(ヘブ8:6);成功を保証し(7:22);合法であることの証拠に、イエスはその契約書に血判を押しました(9:14、15)。このような契約による仲介は私達に次の結果をもたらします。①良心を清めること。これは過去に犯した罪に対する罪のとがめを取り除くことです。②死んだ行いから離れさせること。これは神を喜ばせない行為と救いを得るに有効ではない活動をやめさせることです。③聖なる奉仕をするよう任命すること。これは、日常生活において公に神に仕えて証することです。④永遠の報いを確証すること。これは、今、受けて楽しんでいる救いの一部分を完全に成就することです。この仲介による結果が、教会の中で、特に、聖餐式の中で祝われるようになります(ヘブ12:22-24)。その祝いの実践は、詩篇116:12-14に記されています。①キリストとの結合を意味する救いの杯を飲むこと(日本の結婚式で行う「三三九度」の献杯の礼を参考)。②口に出す言葉で誓う、すなわち、神に対する献身と感謝を人の前で述べること、です。仲介者成るイエス以外からはこのような祝福は得られません。イエス様に乾杯!!(参考:イエス様の仲介はご自身と聖霊の天におけるとりなしの働きを通して続けられています)。