2012年1月8日の礼拝メッセージでは使徒2:1-12から「生活のための礼拝の力」と題して、11、12節の「神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。いったどうしたことか」という部分を中心に、合同礼拝集会がどのように生活に影響するのかを話しました。礼拝は神に向かって行う活動でありながら、信徒と不信者の生活に影響する力あるものです(エペ5:18、19)。その活動の具体的な内容はキリストについてのことばを語ることです(コロ3:16)。聖霊降臨日(ペンテコステ)が教会の誕生日を記しているとすれば、使徒2:11、12が初代教会の最初の合同礼拝集会において無くてはならない内容を描写しています。聖霊降臨日以前の礼拝集会の活動の様子はルカ24:53と使1:14に記されています。ところがペンテコステの聖霊の力によってもう一つの次元が追加されました。それは神の偉大なみわざを語るということです。この「偉大なみわざ」とは原語では「メガレィア」という語で、偉大、素晴らしい、力、大きい、技、栄光、輝き、尊厳、威厳、威光、神性などの日本語に当たります。聖霊降臨日に語られた言葉の内容は神の本質の働きを宣言していたものです。しかも、大声で口に出された言葉としてきちんと聞き取れたものでした。新約聖書における合同礼拝集会は、信者が聖霊の力によって神の「メガレィア」を語り、御言葉を聞く集会です。そのような神のみわざを何処から学ぶべきでしょうか。聖書の記録、自己の体験、他の人からの証、賛美曲の歌詞、超自然的な力による働きや聖霊の賜物による働きからです。神の偉大なわざを経験することは合同礼拝集会のフォーカス(中心部)と目的です。神の偉大なわざを語る結果は、①神の働きに対する信仰と期待を強化すること。②人生の中で働いている悪の力を破ること。③不信者をキリストへ引きつけること。兄弟たち。あなたがたが集まるときに(合同礼拝集会)、そのすべてのことは、生活のために、あなたがたを造り上げるようにしなさい(1コリ14:26)。神の偉大なみわざを語る礼拝者でありましょう。
(このメッセージの内容を私達の日本人教会の合同礼拝集会に当てはめた実践的な応用が別紙にありますので、ほしい方がいましたら牧師まで申し出てください)。