2012年1月22日 「生活をする為の信仰」
2012年1月22日の礼拝メッセージは使徒3:1-16から「生活をする為の信仰」と題して話されました。使徒3章では、聖霊降臨の出来事の後、使徒たちの通常の生活が始まったのが見て取れます。足のきかない人が癒されたことは、初代教会の中で使徒たちによって行われた最初の奇跡です。それは驚くべき出来事に違いありませんが、今回のメッセージの中心は使徒たちの信仰についてです。ペンテコステの聖霊によるバプテスマを受けることで、復活され、生きておられ、そして、共に働かれているイエスへの信仰にあふれたこの二人は、足のきかない人に信仰を受けさせ、人生を180度変えることができるようになりました。16節にある「完全な体にした」とは、原語ではベニヤ板を造る製造産業用語で「幾つかの薄板を組み合わせ、さらに強い板を造る」という意味を持っています。この言葉はまさに、彼の変えられた人生を言い表しています。ここで聖書の中に見られる信仰の種類を考えましょう。①救われる為の信仰(エペソ2:8、9)。これは悔い改めた上で頂く贈り物としての信仰です。②特別な奉仕をする為の信仰(1コリ12:9)。これは聖霊によるバプテスマを受けた上で頂く賜物としての信仰です。③クリスチャン生活をする為の信仰(マコ16:17、18)。これは全ての信者が持っている一般的な信仰です。イエスは、行った38の奇跡の中で、よく人々に信仰を要求されました(マコ9:22、23;マタ9:27-29;マコ2:5;マコ5:34-36)。また、信仰がない人を非難されました(ルカ8:25;マコ6:6)。聖書では信仰の量りと割合について書かれています(ロマ12:3、6)。これは一人一人に与えられた信仰の量が違うという意味ではありません。皆が同じ量の信仰を受けるのです。ところが信仰には成長する段階があります。信仰がないように見える段階から始まって(マコ4:40)うすい信仰(マタ6:30)からし種ほどの信仰(マタ17:20)限られた信仰(マコ9:24)りっぱな信仰(マタ15:28)珍しい信仰(マタ8:10)の段階を通り、完全な信仰(1コリ13:2)に達します。信仰の目的は、神のわざを現わすためにと(ヨハ9:3)神の栄光ためにです(ヨハ11:4、40)。生活する為の信仰の出所と力は、4つの事柄との関わり合いにあります。神(マコ11:22)、キリスト(ガラ2:20)、御言葉(ロマ10:17)、そして私たちの内に生きて、働いてくださっているイエスキリストです(マコ16:20)。この方があなたの内に生きておられるでしょうか。