2011年10月9日 「宮より大きい者」 何より偉大なもの シリーズ1
2011年10月9日の礼拝メッセージは、マタイ12:1-9から「宮より大きい者」と題して話されました。もし、この言葉が真実であれば、私達の信仰生活と日々の生活に重大な意味が生じてきます。それは、イエスが招いてくださる生活は、何より大きなもので、最も満足いく生活であるはずです。それは招いて下さる者が、誰よりも大きい方だからです。イエス様が断言されたのは、安息日のおきてとの衝突が発端です。安息日に仕事をしてはいけないという言い伝えに対して、イエス様は、言い伝えを犯したにもかかわらず罪にならなかった例を挙げられました。[1].ダビデの事(1サム記21:1-7)。[2].祭司達の務め。宮が全ての行いを聖なるものにしたと言う原理を表しています。ユダヤ人の生活に宮がどのような存在であったかをまず考えて見ましょう。①宮が、目で見える形で神の臨在を象徴していた。神の臨在は、至聖所の中にあった。それによって、宮と中にある全ての物が、象徴的に聖なるものと定められた。象徴だけである神の臨在は、イエスによって、実際となった。(ヨハ1:14-16、コロ2:9、2コリ5:19)。②宮が神に関わる真理を表した。宮の建築、道具、儀式、捧げ物の動物の全ては、救いと購いによる神と人間の関係を示しています。その実際は、キリストです。(コロ2:16,17、ヘブ10:1-10)。③宮が神を礼拝する中心的な場所でした。しかし、その礼拝は、特権を持った数人だけの組織的ものでした。キリストが真実の宮で(ヘブ8:2)、真の礼拝を捧げる対象です(ヘブ9:23,10:19-23,13:15)。④宮が生活になくてはならないものを象徴していました。ユダヤ人の住居は、宮の周りにありました。朝、昼、晩に宮を見ながら一日の生活をしました。ところが次第次第に宮と中の物がなくなってしまいました。キリストはいつもおられるので、生活の安定を図るようにされます(ヘブ7:22,25、9:9-14)。では、これらの真理を実践するにはどうしたら良いでしょうか。①生活に優れた律法と規則を当てはめていく。②義務的ではなく、自分の意思に従って、神との交わりを可能にする。③救い、永遠の命と希望を手に入れる道を見出す。ここに宮より大きな者がいる。言い換えるとキリストが宮の主なのです。イエス様があなたの生活の中で、最も大きな者でしょうか、主でしょうか。