2011年9月25日 [神の言葉を崇めるもの]

2011925日の礼拝メッセージは、2テサロニケ318から[神の言葉を崇めるもの]と題して話されました。。[あがめる] と言うのは、言語から言えば、パウロの命令を実行することにより、主の言葉が大いなる勝利を得ると言う意味です。パウロは、4つの事の為に祈っています。①神の言葉が、個々の生活の中で勝利を得て、崇められるように。②主の真実を通して悪から守れるように。③自分への訓戒に対して、積極的に喜んで答えるように。④主キリストの来臨を期待しつつ、もっと深く神の愛へ進むように。これらのことは、信者の生活の中で実践されているべきです。この3章では、主の再臨がすでに起こったという間違った教えを聞いて、社会を離れ仕事をやめてしまった人がいると言う大きな問題があるので、パウロは優しくお願いするより、厳しい態度を表しています。ここで、行動について次のことが考えられます。①労働の神聖さとその義務と報い(61015)。仕事は創造の働き、イエスの生涯、そして多くの聖書の言葉によって聖なるものだと定められいます。②パウロの模範(79)、パウロはテントを作っていました(使徒183)。これを通して自分の生活に関して自分で責任を取らなければいけないことを教えています。③労働と教会による訓戒(61415)。働きたくないものは、「締りのない者」と呼ばれています。これは規則のない、不従順、しつけを受けないと言う意味です。教会はこのような人を兄弟と認めて、勧めをしながらも従わない時には、この人から離れ(6)、注意を払いながら、交際しないように勧めています(14)。それは、その人が恥じ入り、変わることが出来るためです。社会におけるクリスチャンの活動を考えて見ましょう。その活動を通して①神の受肉の真理と真実を示す。②福音を伝える機会を作る。③キリスト教信徒の価値観を通して、社会に影響を与える。④(給与を伴い)その収入により自分の必要に備え、教会と神の御国の発展を支える。労働の動機は、①人生の中にある神の働きに感謝すること。②キリストの来臨に対する期待を持つこと(5)。本当にキリストの来臨を期待しているなら主の言葉が崇められうように、社会の中で活動するべきです。