2011年9月18日 「救いに選ばれた者」


2011918日の礼拝メッセージは、第2テサロニケ人への手紙2章から「救いに選ばれた者」と題して話されました。救いの門を外から見るとその鴨居には、「誰でも信じる者なら」と書いてありますが、中に入って振り向くと「選ばれた者」と書いてあります。テサロニケ人への第12の手紙では、救いの意味を、キリストの来臨を迎えてその栄光に預かることと捉えています。そして、この出来事から今の生活に役立つ教訓を、沢山学ぶことが出来ます。この箇所は、3つの重大なポイントに分けられています。① キリストの来臨と教会の携挙(けいきょ)13.使徒パウロのテサロニケの町での伝道は、使徒の働き17章に記されています。わずか2週間の間に、救いとキリストの来臨について教えましたが、その後、ある者が入って来て、その来臨がもうすでに起こったのだと教えてしまったので、信者たちが不安に陥り、通常の生活を離れて、仕事を止めてしまいました。その考えを正す為に、キリストの来臨について再び教えたのです。(1テサ41618)。しかし、(当時の時代では)これはすぐに起こることではないと教えました。② 信仰の背教と不法の人の到来(412)。背教と言うのは、ただ一時的にバックスライド(逆戻り)することではなく、キリスト教の根本的な真理を否定することです。すなわち、キリストの神性、、十字架による購い、聖霊の働き、キリストの来臨、天国における永遠性、地獄における永遠の滅亡の真理を否定します。不法の人については、別名、罪の男、滅びの子、悪しき者、反キリスト、あの獣とも呼ばれ、人に自分を礼拝することを要求し、奇跡を行い、人を惑わします。ところが、今は引き止めるものがあります。それは、教会の中で働いている聖霊様だという考えがあります。キリストの来臨によって、彼と不信者が滅びます。パウロは信者が、③ 信仰の落ち着きを失わないように、次の原理を進めています。[]教えと懲らしめる受ける(5)[]救いを受ける原理を理解する(1314)。[]教会の教えと習慣を守る。(15)。[] 神のなさるであろう事を理解し、ゆるがない信仰生活を築く為の材料として取り入れていく。1617)。キリストの来臨は、まず空中来臨があります(使徒1911)。2000年も経った今日、一世紀の信者が期待したキリスト来臨は、もっと近くなっています。もうまもなくで、「不法の人」が現れるでしょう。ある人は、この男はすでに生まれていると信じています。キリストによる神の愛を受けないものは、惑わしを受けて、真理を信じないで「不法の人」と一緒に滅ばされるでしょう。クリスチャンの人は、神の国の真理の言葉と、働きに励むべきだと思います。