2011年9月11日 「御国にふさわしい者とされる神」

2011911日の礼拝メッセージは、第2テサロニケ人の手紙1112から「御国にふさわしい者とされる神」と題して話されました。クリスチャンとして生活するのは、神に認められるように努力することではなく、むしろ、神がよしとされることを受け止め、神に喜ばれる生活をすることです。神様は行うことより、どのような人であるかを喜んでくださいます。一章には、「神」と言うことばが10回出てきます。これは神学的な言葉ではなく、神が私の中でどれほど働いて下さっているかを示しています。「御国にふさわしい」と言う言葉の意味は、神の国は何かを知った上で、その御国の全ての物に預かると言う意味だと思います(1ペテ134)。未来には永遠の祝福と、現在には一時的な祝福があります。御国にふさわしい者にする神は、、①艱難の中で信仰を育てられる神です(15)。その信仰が与えられているのに対して、感謝、誇り、祈りを持って応答し、信徒同士間では、愛と従順を育てます。そうすることによって、神様は私を救った裁き(判断)は、正しいことだと確証しておられます。そして、その信仰は、心の平安をもたらします。②正しい裁きをされる神です(610)。神は正義の方で憐れみを持って人を救う一方、他方では、怒りをもって人を裁かれます。神を知らずキリストの福音を信じない決心をする人への裁きは、イエスの来臨の時に神の栄光から退けられ永遠の滅びの裁きを受けることです。反対に、信者はその栄光を受け、イエスを礼拝します。③働きを全うされる神です(1112)。神は私を神の傑作として、全ての創られたものに見せる為に、福音を通して招いてくださいました。神ご自身の願いと私の信仰によって、人生を最高に生きる者として下さいます。ここに二通りの人間を見ることが出来ます。(1)、信者と交わりをしながら、お互いに信仰を励ましあい、神に従順に従っていく御国にふさわしい者と(2)信じないで永遠の滅びの裁きを受ける御国にふさわしくない者。あなたはどちらでしょうか?