2011年8月21日 「涙の谷に掘った井戸」 「 神の井戸」 シリーズ12

2011821日の礼拝メッセージは、『神の井戸』シリーズから詩篇841-12から「涙の谷に掘った井戸」と題して話されました。56節を中心に、自分自身の最も深い悲しみを祝福に帰ることが出来る人の幸いを考えました。「の谷」を直訳すると「バカの谷」となります。「バカ」とは、桑(くわ)の木という意味ですが、口語訳では、桑の木を「涙を流すもの」と言っています。それは、木からしみ出る樹液が、涙に見えるからです。士師記2: 5に「その場所の名をボキムと呼んだ」とありますが、ボキムとは、淵、「泣く」の音の語源「バカ」の派生語です。「バカ」涙の谷は、イスラエルの史実に良く出てきます。詩篇84は、ダビデがアブサロムから逃げていた時に書いたもので、神殿を離れた悲しみを語っています。また、年に3度、宮もうでをする巡礼の旅の苦しみをも示しています。比喩:信仰生活で、困難や苦闘の中、神に仕えるものの勝利を示しています。この詩篇の中に3つの幸いがあります(4612)。この時ダビデには、次のような涙の原因がありました。裏切り行為(2サム151-12)、不忠義(2サム1532-37)、憎しみ(2サム165-14)。そう言う中でもダビデは、民を回復させました(1614)。聖書の中の涙の例、預言者エレミヤ「涙の預言者」(哀歌112、イザヤ5334、ヨハ1135、マタ2337)、ナインの母(ルカ713)、使徒パウロ(使徒2019312コリ24)。どのようにして涙を泉とするか。それは、神が祝福してくださる期待を持つことによるのです。それによって、①前に礼拝の中でした神との経験を思い起こして力を受ける(14)②神とのかかわりを再確認する(89)。③神はどのような方であるかを再確認する(8-12)。④神に対する目的をしっかり持つ(5-7)。神の応答は、水を下から湧き水のように湧き上がらせるのではなく、上から雨のように注がれます(6)。ですから、「泉とする」と言うことは、雨水を受ける準備をすること、つまり溝やくぼみを掘ることです(マラキ310、イザヤ356-8、イザヤ411718(参))。雨は聖霊の象徴(ヨエル221-2328、使徒217)結果と祝福は、①力を増し加えられる(7)。別訳では、安らぎ、励まし、仲間(ルカ240-52)。②目的に達する(7)。涙とシオンにいる経験をする間に神をあがめる祈りがある。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇305)。あなたの涙は、祝福に変えられる。