2011年8月28日の礼拝メッセージは、「神の井戸」シリーズの第13回目として、ゼカリヤ書12:10-13:6から「罪とけがれを清める泉」と題して話されました。最近、最も話されている話題は公害問題と異常気象のことです。多くの国の政治家は、それを解決するために国民にカーボンタクックス(二酸化炭素税)を課そうと考えています。ところが、人間には公害問題よりもっと恐ろしい問題があります。それは、人の内にある罪とけがれによる汚れの問題です。幸いなことに、解決はすでに見つかっています。それは、神の泉というものです(13:1)。預言者ゼカリヤは、ある日のことを語っています。この日は、アブラハム(ヨハ8:56)、多くの預言者(ルカ10:24、1ペテ1:10,11)が見た同じ日です。キリストによる救いの日(2コリ6:2)、心の安息の日です(ヘブ4:7-11)。また、その日はキリスト信者にとって、悔い改めと信仰を持って神に立ち返り、罪が許されたことを生活を通して証ししていくと決心する日です。その「泉」のところに達する道のりはどういうものでしょうか。① 神から注がれた恵みと哀願の霊(12:10)。② キリストの十字架の意味を理解すること(12:10)③ 罪を悔い改めること(12:10-14)。④ 泉なるキリストの血潮を浴びて洗うこと(13:1)。そして、確かに罪の許しときよめを得た証拠として、生活の変化による証しをすること(13:2-5)と、自分のすべてを十字架に持って来て死なせること(13:6)、(ガラ2:20;6:14-18参)。ゼカリヤが語った泉が開かれることがキリストによって成就されました(ヨハ19:34)。この泉に飛び込んで行こうではありませんか。