2011年7月24日の礼拝メッセージは、「神の井戸」シリーズから「苦い水の井戸」と題して、出エジプト記15:22-27から話されました。中心聖句は、23節です。イスラエル人はエジプトから救い出されて、三日後に神様を礼拝するために荒野に来ました(出5:3)。水が見つからないので、心の状態が表れて来ました。苦い心です。この状態のままでは、決してカナンの地に入っていくことはできません。マラの井戸はその苦みを反映していました。これは430年間に労役の生活によって、抱くようになったものです(出1:11-14;2:22;3:7)。神の救いの祝福の約束があるのに(3:8)、目的を失って、肉的なものに目を付けてしまった。苦みの恐ろしさを、漢字の成り立ちで考えてみましょう。象形文字では、どくろの上に冠がついていますが、草冠に頭を書きます。 聖書の中では苦みの原因と結果を示す聖句には次の例があります。訳によれば「苦しむ」と訳されている聖句もありますが、原語では「苦さ」と言う意味です。創27:34羨みとねたみ;1サム1:6、10失望;イザヤ38:17不健康;エレ2:19信仰を失うこと;エレ4:18不義な行い;エゼ3:14陰険な心;ゼカ12:10罪意識;使8:18-23権勢欲;エペ4:31人間関係問題;ヘブ12:15-17恵みから離れること;ヤコ3:11汚れた生活;ヤコ3:14-16悪霊の影響。苦み取り去るものは ①そうしてほしいと言う願い(25)。そして「主の啓示によって示される「一本の木」(25)。この木はキリストの十字架を示しています(使10:39;ガラ3:13;1ペテ2:24)。イエス様が十字架の上に私たちの苦みを味わられた(マタ27:48;詩69:21)。十字架の場所はゴルゴタ、どくろという意味、「苦い」の成り立ちの絵を思い出す)。ですから苦みを十字架に持っていきます。それで、癒しだけではなく、主と健康の契約による関係に入ります、エホバラパー、主が健康(26)。苦い水(心)が甘い水のように変わって、救いを喜ぶことができるようになります。