2011年7月3日「争いの井戸」「神の井戸」シリーズ5

2011年7月3日の礼拝メッセージは「神の井戸」シリーズから「争いの井戸」と題して、創世記26:12-22の箇所から話されました。『「ゲラルの羊飼いたちはこの水はわれわれのものだ。」と言ってイサクの羊飼いたちと争った』(20)は、メッセージの中心的な言葉です。ストーリーの中の事柄が起こった順序を、よく調べるとイサクが霊的、物質的に祝福を受けて、裕福になったのは、争いをいかにうまく処理したかにあることがわかります。ストーリーの中には、特徴的な部分が4つあります。この4つは、日々の生活と信仰生活で起こる論争の解決についての教訓を教えています。[1].再び井戸を掘って、名前を付けたこと (18-22)。争いを引き起こす原因を探ると次のようなものがある。①祝福を失った原因を認識したこと(15)②過去の祝福を再発見したこと(18)③霊的な言葉をもって信仰を強化したこと(18)④救いの喜びに満ちた生活に戻ったこと(19)。[2].水について争ったこと (20、21)。争いの動機は、影響力に対する恐怖である。当時の社会では、井戸水を有する者は裕福になり、勢力を得、社会に影響を及ぼした。。信仰生活では神の祝福を受けた者も同じである。争いの形はことばであった(20)。[3].イサクの争いに対する応答(19-22)。①イサクの反応は、無言で、井戸をゆずって、そこを離れた。こうしてキリストにあるおなじ態度を示した(イザヤ53:7;マタイ 12:18,19 ;1ペテロ2:19-23 )。神は、あなたの(物質的な)ためではなく、あなたを通してでもなく、あなたの内なる変革が最も大切と考えておられる。②神聖(神らしい)な反応は、神聖な報いが伴う(22)。広々とした所はその祝福ではなく、祝福を受けるための状況である 。広々とした場所は祝福の約束を再確認する所で、それは、礼拝を通してその約束を信じて告白するに至る。[4].受けた祝福とそれを認めたこと(26-31)。ここに12-14節がストーリーが入る。「その地に(12、22)、種まき、百倍の収穫、祝福、富、栄、裕福、 家畜、しもべが多くなった 。またそこに住居した(25) 。アビメレクがイサクの祝福を認めた。こうしてイサクが平和の契約を結んだように、人々も私たちにある主の祝福を見てそれを求めるようになる。。また争いは人の間のことだけではなく、自分の内にもあるもの。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょうあなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」ヤコブ書4:1。争いの井戸は、肉と霊の争いについてのことであるが、肉に属するか、霊に属するかのことで、霊に属する者だけが祝福を得る(1コリ3:1-3)。肉なる自分をキリストの十字架に持って来て、広々としたところに 入りましょう。