2011年6月19日 東金バブチスト教会の川上政孝牧師 「救いを完成される神」

2011年6月19日の礼拝では、東金バブチスト教会の川上政孝牧師に、ピリピ人への手紙1:6から「救いを完成される神」と題して説教して頂きました。          この書簡は、パウロがローマの獄中から喜び、喜べと書いた手紙であるが、パウロの状況は、ローマの暴君ネロ皇帝から、明日は首を切られるかもしれないという誠に厳しいものであった。厳しい状況にあっても喜べる答えが、1:6にある。ピリピ人への手紙の主題は、4:4である。私たちは、創り主によっていて、その方に祈ることができ、創り主が全力で愛し、救って下さる。人間の喜びは、長続きしない。祈り、宣教していても自分の力に頼っていたら、保証は何一つないし、キリスト信仰が人間の気分や感情中心だったら何も残らない。人間主体だと、むなしさ、惨めさ、悲惨さが残るのみ。「われわれは真理を欲するが不確実を、幸いを欲するが悲惨と不幸しか見出さない/パンセ・パスカル著」と言われる通りである。
1.信仰の創始者は神である(よき働きを始められた方は、1:6)。紫布の商人ルディアはヨーロッパで初めてのクリスチャンであるが、彼女が良い人敬虔な人と言う訳ではなく、主が彼女の心を開いて決断するように導かれた(使徒16:14)。アンティオケ(使徒13章)でも信仰に入った人もいたが、アテネでは死人の復活を語るパウロは、馬鹿にされ意気消沈していたようだ。しかし、コリントの町では、「恐れず語り続けよ」(使徒18:9)「この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18:10)と神が心の中に語りかけ、心を動かして神の業が始められていった。神が始められたと言う事が、ピリピ教会の信仰の土台となり、喜びの根拠となった。                           
2.神のイニシャチブで始まった信仰であるが、中途半端に終わるのではなく完成してくださる(必ず成し遂げてくださる1:6)。神が完成に至らしめてくださり、有終の美を飾る(最後までやり通し立派な成果を挙げること)ことができる。それぞれ、働きや使命を全うして信仰の完成である。与えられている仕事(職業の招命と考えてもいい)やりたいこと、ライフワークなどあきらめてしまいそうになっても、神の栄光のために生きるもののためには、神は全ての事を導き用いて、完成させて下さる(ローマ8:28)                             
3.神への信仰、神の選び、喜びの確信(堅く信じている1:6)パウロは、神が信仰を守り抜いて下さると堅く信じ、全く疑わず確信していた。信仰の戦いを勇敢に戦って、神から「善かつ忠なるものよ」(マタイ25:21)との言葉をかけて頂くのは,口に表せないほどに嬉しい事である。信仰生活の中、不安定でびくびくしているのではなく、単に救ってくださったのでもなく、信仰を始めてくださった方だから、完成してくださると信じる。必ず信仰生活の有終の美を飾れると信じて生きましょう。