2011年5月29日の礼拝メッセージは、新しく「神の井戸」シリーズを始めますが、その第一回目として、創世記16:1-16から「見ることの井戸」と題して話されました。
この井戸で起こって事を通して教えられる教訓は、① 神が私をご覧になっていること、② わたしは神を見ることができること、そして、③ 私のために神の大いなる計画を見ることができることです。この井戸は「見ること」が中心的な真理だと明確に分かります。
ハガルがこの井戸で経験したことは、自分の人生に、調度起こっている事柄のゆえでした。
ところが井戸で経験したことによって、人生はよい方向へ変わるようになりました。
それを経験できるように次のステップが必要です。「見ることの井戸」は、① 過去の問題に向かい合う場所です(3-9)。ハガルは過去にいじめたり、いじめられたりすることがありました。その状況から逃げようとしたが、その問題が解決しない限り決して祝福へ進むことはできませんでした。彼女に現れた者は、旧約時代における三身一体の神の第二番目の方で、主イエス・キリストでした。彼女はこの方をエルロイ「ご覧になる方」と呼びました。
② 「見ることの井戸」は、将来の新しいビジョンが生じる場所です(10-13)。主の御使いは将来に対して約束を与えた。ハガルは苦い思い出ではなく、大きい希望を持って戻った。神を見たからです。③「見ることの井戸」は、神に対して新しい理解力を持っていると告白する場所です(14)。後にその井戸はエルラハイロイと呼ばれました。一つの意味はご覧になる神の目的と、計画を見たということです。すなわち、神が自分に対して計画を持っていて、どんなことが起こってもそれを成就してくださると言う意味です。このストーリーが起こった場所は、エジプトへの道の途中のシュル(壁)と言う町の付近、カデシュ(聖域)とベレデ(さ迷う)の間でした。エジプトは世、シュルは神が注意をされるのを受けるために使う状況、カデシュは神と共にいる生活、ベレデは、無目的な生活を象徴しています。「見ることの井戸」は、新約聖書の真理を描いています。キリストとの出会いを通して、与えられる祝福に満ちた人生を意味しています。この井戸は聖書の中で一番最初に出る井戸です。経験上からいえばこの「見ることの井戸」の真理を受けないなら、次の「神の井戸」の真理による経験に進むのは困難です。