2011年5月1日 「希望の力」

2011年5月1日の礼拝メッセージはゼカリヤ書9:11,12から「希望の力」と題して話されました。希望はクリスチャンにとって、最も大切なものです。と言うのは、希望から信仰が来、信仰がなければ神を喜ばすことはできないからです。先週のメッセージからの続きですが、クリスチャンには、この世と来たるべき世で希望が約束されています (1コリ15:19)。ところが、聖書的希望は、志望、願い、したいことなどのような意味ではありません。また恵みとか神学的な徳ではなく、いつも客観的なことで目的を達する動力となるものです。ここで、聖書的希望を学びましょう。ゼカリヤ9:12では「望みを持つ捕らわれ人」とあります。① 歴史的な環境。その当時イスラエル民族は、70年間バビロニヤに捕虜となっていました。エレミヤ、エズラ、ネヘミヤ、ゼカリヤの預言者たちは、解放と帰国を予言していました。この希望を、70年間持ち続けてきました。そして、それ以上に、イスラエルの国家につながっていました。(使1:6,7、28:6,7、28:20)。これは1948年に、イスラエルが建国されることによって、現実になりました。② メシヤによる福音の時代を語っています(ゼカ9:9,10;コロ1:23)。キリストの到来のみならず、キリストの再臨(テト2:13);天国(コロ1:5);キリストの1000年王国と新しい天と地に及んでいます。③ 希望へのお招き。「とりでに帰れ」ゼカ9:12.このとりでは神様ご自身です(詩27:1;63:1、箴18:10、ナホ1:7)。希望を現実にする前に、まず心の中で神に立ち返えらなければなりません。④ 希望を現実にする条件。それは血による契約(ゼカ9:11)。過去のアブラハムとの契約のつながり、そして未来のイエスキリストの十字架による購いの血を語っています。この契約は聖餐を通して記念する。⑤ 希望の祝福(ゼカ9:12)。「2倍の物を返す」とは祝福を豊かにという意味ですが、特定の祝福をも指しています。長子の権利(申21:17);奉仕をするための御霊の力(2列2:9);とこしえの喜び(イザ61:7);そしてすべての祝福を得る信仰(ヘブ11:1)。ヘブル11章は、信仰だけではなく希望の栄誉に預かる者の名簿とも考えられる。希望は生活に実際的な力となる例 -① ピリピ市の牢に入れられた使徒パウロ(使16章).② ローマへ行く途中に難破した使徒パウロ(使27章)。このような状況の中で希望は確信を与え、魂の錨(いかり)となるものです(ヘブ6:11、18,19)。