2011年4月 24日「キリストの復活は悪ふざけか希望か」
2011年4月 24日の礼拝メッセージは、第1コリント15:1-10から「キリストの復活は悪ふざけか希望か」と題して話されました。テキストは、ルカ24:5、6とマコ16:6です。15世紀の終わりころに、ポルトガルからアフリカの最南端の岬を回って、往復の東アジヤの国々へ海路を発見しに、何回も船を派遣しました。地球の端にある南洋の荒海と暴風に襲われて、多くの船が沈没し、何千の水夫が水死しました。その岬は「嵐の岬」と呼ばれました。やがて1499年に一海路が発見され、アジヤの宝物を持って無事にポルトガルに戻りました。それで王は、「嵐の岬」の名前を「希望の岬」に変えました。同じようにキリストの復活が、神の祝福の富へと道を開いてくださいました。キリストの復活は「悪ふざけか希望か」裁判にかけ、証人を呼んで、証拠を取り調べて判決を出してみましょう。① 聖書の預言の成就の証人(第1コリ15:3、4)。ヨブ19:25ー27、詩16:10、使2:25-28、イザ53:10がキリストのことを予言しています。② キリストと共生した証人(第1コリ15:5-7)。福音書の中で、少なくても生き返られたキリストに出会った人が570人います。この人達は、キリストの体に残った傷を見ました。そして、後に、殉教者ステパノ、使徒パウロ、黙示碌の著者ヨハネもお会いしました。復活は「悪ふざけ」ではなく「事実」だという判決を下さざるをえません。では、キリストの復活は私たちの日々の生活にどのような意義をもたらすのでしょうか。① 福音宣教に確実性を与える(第1コリ15:1、2、14)。ルカ1:1-4;使1:1-3参)。② 信仰に意味と力を与える(第1コリ15:2、14)。③ 神の本質を示す(第1コリ15:15)。ピリ2:10;1テモ3:16参)。④ 罪の問題が解決されたことを示す(第1コリ15:3)。十字架をによって贖いの犠牲を払ったが、復活によってその犠牲が神に受け入れられたとわかる(第1コリ15:3)。⑤ 永遠の将来を保証する(第1コリ15:18-57)。⑥ 新しい人生を設立する(第1コリ15:21、22)。イザ53:10参。復活はただの出来事ではなく、日々の生活が、復活そのものであるキリストの命に預かる経験です(ヨハ11:25、26)。キリストの復活は「悪ふざけ」ではないので、その生活が偽物ではない希望に満ちています。キリストは、本当によみがえられました。ハレルーヤー!!