2011年4月17日の礼拝メッセージは、第1コリント1:17,18節から「日々生活におけるキリストの十字架」と題して話されました。
聖書のどのような所を開いても、キリストの十字架が見い出だされます。第1コリント書には、教会の中で起こった人間関係の問題を解決するために、十字架について語られています。日々の生活の問題を解決するために、キリストの十字架にある神の助けを、受けることができるのです。
中心的な聖句を分析して見ますと、① 十字架は、生活に影響する神の効果的な道具なのです。② 十字架について私たちが話す言葉によって、その効果が無に帰するか、有益になるかが決まってきます。③ 十字架そのものが私たちに語っています。④ 十字架は救いを受けるために効果的であるばかりではなく、救われてからの信仰生活にも力があります。十字架が生活の上に効果的に表れるためには、十字架をどう考えるかだけではなく、何を信じているかによるのです。
ここで、十字架の三つの点について申し上げます。① 十字架によって、人の永遠の運命が定まってきます(18)。すなわちキリストが十字架の上で、私のために何をして下さったのかと言うことです。
それは、人間の知恵によるのではない罪の許しと、力と、永遠の生命が与えられることです。② 十字架によって、神との特殊な関係に入れられています(1-9)。それは、キリストが十字架の上で、成し遂げてくださったことですが、神の家族なる共同体(教会)の中に導いて、ご自身で聖別して、キリストの主権の下に入れて、祝福して下さいました。③ 十字架によって、人生の新しい目的を示して下さいました。つまり、キリストが十字架のゆえに、私を何のために用いて下さるのかということです(26-28)。それは神がこの世で、ご自分の計画を成就されるためです。
この三つの実践のために、十字架のキリストが私たちにとって、①知恵となる、すなわち、神、キリストによって、人間はどのように変えられていくか教えること;②義となる、それは、罪、罰、赦し、身代わりとなったキリストのことを教えること;③きよめとなる、これは、神、世、生活に対してどう生きるべきか教えること;④贖いとなる、すなわち、人生のどん底から天国の高みにまで引き上げる、神の力を教えることです(30、31)。
キリストの十字架はイースターの一部分です。そして、私たちの日々の生活の中で力となっています。