2011年1月30日「イエスの茨に冠」

2011年1月30日の礼拝メッセージはヨハ19:1-7から「イエスの茨に冠」と題して話されました。イエス様の生涯に起こったことで、私たちの信仰生活に意義のないものは一つもありません。兵士たちがばか騒ぎと嫌がらせでしたことは事実であることを確証しました。イエスは確かに王であり、神の子でありました。イエスの頭にかぶった茨の冠は歴史の初めに届き、原罪、拒絶と神からの離間、そしてキリストの十字架による購い、癒し、祝福に関わっています。その意義は茨に冠が次の真理を語っています。①イエスが罪と堕落による呪いを負った。創3:17-19;ガラ 3:16。イエスは暗闇に自分の時を与えて、全ての呪い、罪、病を持って突き刺すようにゆるされました。でも購いのわざを見事に成し遂げました。雅歌2:1、2:ヘブ2:9、10;マタ11:28-30。②大祭司としての務めを果たしました。出39:30;レビ21:10-12;イエスは罪を償ういけにえになったと同時に、それを捧げた大祭司です。ヘブ3:1;4:15;7:25-27;8:1。③最終的勝利を得る主に先んずる。黙6:2;14:14;19:12-16;兵士が茨の冠をかぶらせた時、イエスは泣き声をあげたでしょうか。あげなかったとしても、天から地に響く勝利の叫び声がしました。④キリスト信者の型と比喩になりました。彼らは冗談と嫌がらせでイエスを王として拝みました。逆に、真にイエスを王として拝む者には恵みが流れます。イザ5:13;エゼ28:24;2コリ12:7。では、私たちはどんな種類の冠を受けるでしょうか。イエスの茨の冠は私たちの冠に先んずる救われた魂の冠ピリ4:1;1テモ2:19、義の冠2テモ4:8、命の冠ヤコ1:12、栄光の冠1ペテ5:4、冠を失わないように注意黙3:11。ピラトがイエスを連れ出して、「見よ、この男です」と、イエスを調べるように引渡しました。荒れ地には「茨鳥」が住んでいます。卵からかえった日から完全な茨を探します。見つけると茨に自分を突き刺して、死にかかりながら美しい歌を歌います。十字架から歌が聞こえます。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ルカ23:34。これは茨の冠の意味です。見よ、この男が神の子です。