2011年1月2日 「一年の人生を立てる信仰告白」

2011年1月2日の礼拝メッセージは使徒24:1-16から「一年の人生を立てる信仰告白」と題して話されました。背景は、使徒パウロが信仰のゆえに裁判にかかり、起訴の間、自己弁護をしているときに自分の信仰の根本を発言しています。これは全ての信者の人生の信仰の根本です。①. はっきりとした信仰の規則を持つ (14)。ただ、何を信じているかを知っているだけではなく、それを口に出す[承認]ことができる。これが契約上によって神にあずかることです。② はっきりとした生活の枠を作る(14)。[異端]は原語では選択 と言う意味、信仰が生活とその信仰の枠の内にないものとの関わりを示す。十字架は、おろか、呪い、そして、イエス様も悪霊どものかしらと呼ばれました。[道]嘲笑する呼び名でした。信仰があざけりを引きつけていないならその信仰は真の信仰ではないといえます。③ 神に対する献身を見せる(14)。[仕える] とは生活のあらゆる面が神のもので、忠誠、専念、そして、具体的に礼拝することを意味する。[先祖の父]とは歴史、伝統、風習、そして、過去に経験した神の祝福の上に立って証する礼拝を意味する。④ 信用できる参照の法典を持つ(14)。[律法と預言者]とは信仰生活が立てられる霊的原理です。聖書が何を信じるべきかだけではなく、なぜ信じるべきかを教えます。律法と預言者の参考聖書、ヨハ1:45;ルカ16:29-31;ルカ24:44;ロマ3:21;使徒28:23.⑤ 神に対する期待を持つ(15) 。[希望]とは将来、結果、神の計画のことで、[復活]とははっきりとした目的、報い、永世を語っています。現在の事柄を永遠の立場から見て、神の御手にゆだねて期待を持つことです。⑥ 霊的と社会的に行いの高い標準を持つ(16)。良心が魂の中で神の光だと言われている。赤、黄、緑色の信号のようです。攻めるの反対は好意です(ルカ2:52)。あなたは、あなたに対してこのような起訴があれば何と発言しますか。いや、いや、そんな私じゃないと否定するか、私は有罪です。と認め、「異端と呼ばれているこの道に従って神に仕えている」と承認しますか。