2010年12月26日「主の山にいる者」

2010年12月26日の礼拝メッセージはオバデヤ書1:15-17から「主の山にいる者」と題して話されました。2010年の最後のメッセージを通して一年間の教会と個人信仰生活を振り返って反省してみたいと思います。オバデヤ書は2人の兄弟の物語です。神と契約関係によって御前で示している2つ違う態度に対して、神の反応を語っています。エサウ(エドム)神の聖性を汚して、自己満足、自己中心的に神の臨在を不正義な目的に使用しています 。国々が同じになるように影響させています。神ご自身と祝福を軽々しく考えています。御霊に属していない者を意味します。そのために裁かれて、神を無視するように無視されます。捧げ物は退けられて返されてしまします。無に等しく考えられるようになります。深刻です! 反対にヤコブ(シオン)が同じ神の臨在を憩いの場、交わりの場、回復する場所として考えています。御霊に属する者を意味します。
神に受け入れられます。神の臨在を 避けどころ、購いと救いを得る場、聖別と親密を経験する場、復興と裕福される場とします。喜びです! こうしてヤコブ(シオン)が「自分の領地を所有しました。」私たち信者にとって、領地とは信仰生活にキリストの十字架を通して御霊によって受けるべき救いのすべての祝福と賜物です。これは最終的救いの一部です。それは、神の民が完全な救いを得る。 御霊によらないものを打ち破る。 神の国を個人的にと合同的に昇進する ことです。教会活動がこの大計画の一部です。主の山にいるヤコブのような者として 感謝、献身、熱心をもって、年末を迎えましょう。あなたはあなたの領地を所有しましたか。