2011年1月16日「救いに基礎」シリーズ「信じること」

2011年1月16日の礼拝メッセージは「救いに基礎」シリースとして、ヨハネ3:16-18から「信じること」と題して話されました。もし、悔い改めは救いの根だと考えれば、幹が信仰です。信じるとはどういう意味でしょうか。聖書では真理を知る、信頼する、ゆだねる、呼び求める、 受けることです(ロマ10:9-17)。イエスについて知っている上で イエスを信じる 。知性的知識だけではない (ヤコ2:19)。このような知識は神の啓示によってくる。啓示によるキリストについての知識 は、キリストの名称に関わっている。主-神性、だれか;イエス-人性、人間の型;キリスト-使命、神のしもべ ;神の子-いけにえ、十字架 ;復活-永遠生の保証 のことです。これらのことはイエスの地上での使命、人間の購いを語っています 。それは、人間の生活の中で働く神の御国 ;身代わりとして血の注ぎによる死 ;勝利、永遠の命への門 。イエスについてこのような事実を知っている上で イエスを信じる。その結果は、罪の赦し、暗黒から出される、救いを得る、神の子供となる、 無死 、死から命へ 、義となる 、渇きは満足する 、満足ある人生。 信じることに歴史の問題があります。歴史と言うには、その時、そこにいなかったので信じがたいでしょう。(ヨハ20:24-31)。信じることと新郎新婦がかわす誓いが並行しています。一体と結合(2コリ11:12)。従順と服従 (エペ5:24)。共生と生活 (ルツ1:14-18)。信じますか。