2010年12月5日 「神にならう者」

2010年12月5日の礼拝メッセージはエペソ書のシリーズで4章から「神にならう者」と題して話されました。漢字の成り立ちを考えますと「倣うとは放(ほう)とイ(人)を合わせた字で、似たものを左右にならべくらべる。あるものを模範、手本にしてその通りにする」。ようするに、左右の者は区別し見分けることはできないということです。神に倣うようにと命令されるとは理解できないでしょう。購われた人はこれほど神と一致と調和できるのは神の恵みによる召しです(前回)。医学職務の基本的教育方法には、観察、実習、教える の三つの段階があるように聖書が信仰生活の成長にこの原理を前から教えています。新約教会「元代」における「倣う者」の教えの例を見ましょう。①救いを得る根本的な信仰について(ローマ4:16 )。それは合理的な考えと反対に、神に信頼することです。②救いを示す信仰の歩みについて(1テサ1:6,7 )。それは言葉と喜びによる生活のことです。③教会の伝統的習慣について(1テサ2:13,14;2テサ3:7ー9) 。それは神の言葉を事実として信じて、まじめな労働から受ける報いで生活することです。 ④神の永遠の計画に対する希望について(ヘブル6:11,12;13:7) 。それは、主の御名による奉仕が報いられることです。⑤祈りに対する神の応答について(1ペテ3:12-14 )。それは、神が善を行うものに計画を成就する ことです。⑥十字架にあずかることについて(ピリ3:17-20;1コリ11:1)。これはキリストの来臨による肉体変身のことです。これらの例の上に最高の例はイエス様です(4:32-5:2)。ここに、ささげ物とは、自分に関して、自分から進んで自分をささげられたという意味。供え物とは、人間に関して、身代わりとしてささげられたという意味。香ばしい(かんばしい)かおりとは、神に関して、神によろこばれてささげられたという意味。この三つは信者がなすべき神に対するまったき献身を意味しています。これをするのは愛された子供の立場からします。神に倣う者と主の食卓の意義は、キリストのささげ物を認め、子供とする神の許しを認め、倣う者になる献身する場です。神に倣う者になりなさい。