2010年11月28日 「神のお召しというものの自覚を持つ人 」

2010年11月28日のバイリンガル礼拝メッセージは、エペソ書のシーリーズに戻り、4章から「神のお召しというものの自覚を持つ人 」と題して話されました。コ-リング「召し4:1」とは奉仕の働きに(12)そして、力量(効果的)な働きに(16)つながれて至っています。4書の中で「歩み」とは生活の実行することならば、「召し」とはその歩みの動機です。 召しを成就するために4つのものが必要です。①招待と応答。召しの聖書的定義は、キリストにある救いと購いによる利益と祝福を受けるために 神の招き(招待)のことです。本来と本質と運命は神聖で、天国のものです。福音による神の恵みの富が含まれます。 この召しの本質と目的は神と人間に聖霊による一致。「一つ」と言う言葉に注目(2,5,6)。生活のすべての部分が神に浸されていることです。②召しを指導する者。聖書では、弟子たることといい、訓練すると言うことです。 「召し」とは特殊な職業にも及びます。政界的と地方的教会に与えられたキリストの昇天の賜物。集合的にキリストの全体のお務めを現わす。これらの務めが今日の教会の中に存続します。生徒の信者の成長と全うが目的です。量り(7)、身たけ(13)、力量(16)の言葉に注目。③召しを成就するための道具。指導者は奉仕のために聖徒たちを整えます。 (12)。整える とは、 信仰、知識(経験による)成熱、安定、かしらなるキリストの権威に充実することです。 ④召しの実行 。生徒の務めは、教会全体の利益のためにみんなの者が神に与えられた霊的と実践的な召しを果たすことです。生活の中で、人との交流によって実行されます 。この実行の力は、神の命(18)、知識によって力付けられています(17-21)、新しい道徳的な生活を通して示されます(22-25,31)。4:25-6:9に召しを実行する50科目 があります。召しの自覚を持つ人は、 天職の運命を成就します。そうしないではキリストによる購いの値打ちを軽視することになります。神の召しは完全な信仰と奉仕への旅に出るように招いているのです 。次回に続く。