2010年9月26日 「一生に一度だけしかない」
2010年9月26日の礼拝メッセージはヨハネ9:32,33を中心にして「一生に一度だけしかない」と題して話されました。生れ付で盲人の眼が開かれた物語を説教するのは多くの牧師が避けています。しかしこの物語と結果はヨハネ10章の中まで記録され、人類が始まって以来かつてない、初めての奇跡(三千万人の内の一人)だということだけでも私の関心を引きます。この物語を通して、神が私達の人生の中で特別な働きをなさる一生に一度だけしかない時間、場所、事情があるということが教えられています。次の教訓を考えていただきます。①9:1-5 人生の事情の中で神を探し出す。原因、非難するものを探すより、神が働いて栄光をあらわす機会だと信じるほうがよい(出4:11;ヨハ11:4)。人の命は神のためのもので、人生の事情経験はあなたを神ともっと親しい関係の中に導く。②9:6,7 神は私達が信仰によって踏み出す為に、さらにひどい事情の中に置かれることがあります。つば?、泥?ヤック!行って洗う、何?。盲人生活に慣れきった彼は信仰へと動機づけるものが必要でした。イエスの指図を受け従い、さらにひどくなった事情に刺激されて、彼は行って、洗い、見えるようになった。③9:8-34時々神は自分をもっと知らせる為に自分を隠してしまいます。奇跡を受けて後、彼は一人ぼっちになってしましました。親、隣人、指導者、イエス様まで彼を離れてしまった。そういう中で、心にイエス様と自分自身について神の啓示が与えられました。キリストは誰、自分は誰。イエス様と同じく、運命がある、弟子、礼拝者というクリスチャンの有様を示されました。後に、「神の子を信じますか」という究極の質問を受けた時、信仰生活は何であるか知った上で「信じます、崇めます」とすぐに応答できるようになりました。これこそ、一生に一度だけしかない経験です。すなわち、霊的な目が開いて、永遠の生命に入ることです。